天使の微笑 4

 

 

大学から退勤した光輝が、マンションに戻ると、ダイニングに馨ともう一人の男の姿が見えた。

「あ、お帰り。お客さんだよ」

出迎える馨が指すその男は・・・

「ヘンリー!なんで日本に?」

その問いには答えず、イギリス人の長身の優男は光輝を見るなり抱きついてきた。

「コウキー会いたかった〜」

「辞めろ!ここは日本だって・・・」

必死で男を引き離すと、光輝はダイニングに入り、椅子に腰掛ける。

「事情を聞かせてもらおうか・・・」

馨は光輝のコーヒーを入れるためにキッチンに立ち、ヘンリーと呼ばれた男は光輝の向かい側の席に着く。

「仕事で来たんだが、そのついでに一目、コウキの愛人を見物したくて・・・」

おい・・・光輝は顔をしかめる。

「お前、日本語ぺらぺらなのはいいが、相変わらず適切な言葉を選ぶという能力に欠けているぞ?」

はあ・・・自覚のないヘンリーは首を傾げる。

「愛人じゃない、恋人と言え。見物じゃない、会ってみたくて・・・でいいんだ」

そこへ、コーヒーを持ってきた馨が、光輝にカップを差し出す。

「馨、理解してくれ。こいつまだ日本語の使い方が下手なんだ」

くすっ・・・笑って馨は光輝の隣に座る。

「出版社で会って、一緒にここに来て、お前が来るまで3時間・・・色々会話して、それくらい理解したよ。

彼自身、自覚している。アメリカで光輝によく指摘されたって言っていた」

ヘンリー・エセルバート 彼は光輝が招待講師として一年滞在していた大学の、人文学科の教授で

なぜか日本の古典文学に関心があり、日本語を独学でマスターした秀才である。

が、どこか抜けているお茶目な性格からか、彼の日本語は正確さに欠けていた。

 光輝より3歳年上で、金髪碧眼の英国紳士らしいスマートな容姿に似合わない明るい性格をしていた。

明朗で社交的なのはいいが、その明るさは、ともするとお笑い系のぶっ飛んだものでもあった。

「出版社で会ったって・・・」

「それはねコウキ、今回、源氏の世界サミットが日本で行われたんだ。源氏といえば、やはり

ミスター・サイキをゲストに招いて、色々ご教示願いたいと・・・」

源氏世界サミット・・・これはヘンリーと数名の教授が始めた源氏同好会が高じて、今や全世界に広がった

研究会である。

光輝も在米中は引っ張り出されたものだった。

「参席したのか?」

光輝の問いに馨は首を振る。

「あいにく、出版の打ち合わせの時間と重なっていて、参席は出来なかったよ」

「本当に残念だったよ。皆、薫の大将に会いたがっていたのに・・・」

大げさに嘆くヘンリーを横目に、光輝はため息をつく。

鷹瀬光輝の声明書があちらでも出回り、佐伯馨に関心が高まるや、日本で放映されている

佐伯馨出演の人生相談の番組が、日本の会員の手により動画サイトに上がり、その容貌の美しさから

薫の大将と話題沸騰している・・・という事を光輝は、時々連絡を取り合っている招待講師時代の先輩教授の

メールで知っていた。

「それは、幸いだ」

「どういう意味?」

光輝の言葉に、不満げにヘンリーは突っかかる。

「そのまんまさ。そこにはミーハーな奴もかなりいるんだろうからね」

そんな・・・渋い顔をするヘンリーを、光輝は睨みつける。

「それはそうと、馨に会って3時間の間、何もなかったろうな?」

「なにも・・・って?」

明るい笑顔で無邪気に聞き返すヘンリーに、光輝は不安を隠せない。

「お前の性癖はお見通しだ。そして、お前は馨に興味深々だ・・・」

「コウキ・・・無理やりは僕の趣味じゃない。それに、僕のタイプはコウキだって知ってるだろ?

愛しのコウキが命懸けで愛している麗人に興味があるというだけで、ミスター・サイキに手を出すなんて

ありえないよ」

(え?!何の話をしているんだ?)

それまで隣で黙って聞いていた馨の表情が曇った。

「馨、気をつけろ。こいつはバイでリバという節操無しだからな」

「失礼だな・・・あ、コウキとは何でもないんだ、誤解しないで。告ったけどふられたから〜あっけなくね。

そんなに一途に彼が想い続けている男が、どんな男か知りたいっていうのもあってね」

そういいつつ、ヘンリーはおもむろに立ち上がった。

「しかし、彼は本当に天使だ・・・ピュアで美しい・・・更に。このスティグマータはとてもセクシーだ・・・」

馨の後ろに回り込んだヘンリーは、馨の腕を取ると手首の傷跡にくちづける。

「おい!」

 驚いてフリーズする馨の隣で、光輝は声を荒立てて立ち上がる。

「確かに、何かの花の香りがほんのりするね。これは何の花だっけ?」

「おい!その腕、放せ〜」

「ええと・・・蝋梅だっけ?」

何故そんな事をヘンリーが知っているのだろう・・・怪訝な顔で馨は光輝を見た。

「光輝・・・」

おそらく、光輝がヘンリーに話したに違いない。しかし、そんな事まで話すとは・・・

「いや、馨・・・これは、酒の席で、ちょっと・・・」

光輝はうろたえ始めた。

「そうだよ、酔ったコウキがミスター・サイキを懐かしんで色々話し出したのさ。俺の愛しの君は

肌から微かに蝋梅が香り立つ薫の大将だって・・・闇の中で、火照った肌から香るその香りは

いかに扇情的か、僕に力説するものだから・・・」

ガタッ ついに馨が立ち上がった。

「光輝!」

 「ええ?そんな事まで言ってないって・・・後半はヘンリーの作り話だから・・・」

焦って光輝は弁解してみるが、ヘンリーの想像力の豊かさには閉口した。

「ソーリー。そう、からかっただけさ。ミスター・サイキは本当に可愛いね」

ヘンリーの笑顔に沈黙してしまう馨と光輝・・・

そう、アメリカではいつも光輝は、この陽気なイギリス人に翻弄され、おちょくられていたのだ。

しかし、どこか憎めないまま友人にしていた。

「ところで・・・そろそろ夕飯にしようか」

ヘンリーの騒ぎですっかり忘れていたが、馨のその言葉で、光輝は自分が空腹であった事を思い出した。

 

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