天使の微笑 2

 

 

「今日は泊まっていくのか?」

鷹瀬家の夕食の団欒の後、光洋は光輝に訊ねる。

「ああ、たまには親孝行しろって、馨が言うからさ〜」

「スクープされた事、気にしてるのか?」

それで、馨は光輝を家に寄こしたのかと勘ぐる父を、光輝は笑い飛ばす。

「気にしてないよ。親父も気にしてないだろ?」

「全て暴露した後に、あんな記事出ても痛くも痒くもないだろう」

リビングに食後のコーヒーを運んできた智賀子も、苦笑する。

「有名になると大変ね。光輝もスクープされるくらい有名になったら?」

「全然嬉しくないから。それ・・・」

一時期、馨の事でナーバスだった母も、今ではそんな冗談を言うようになるとは・・・

時の流れは偉大である。それより何より、光洋がいつの間にか、愛妻家になっている事も不思議と言えば

不思議ではあるが。

 

ー佐伯先生、お礼のメールが局にたくさん寄せられていますが、これからもよろしくお願いしますねー

テレビをつければ、ちょうど馨の出演している人生相談の番組が終わろうとしていた。

「あ、これ、今日放送なんだ?いつも月曜日にテレビ局に行くけど、生放送じゃないから

何時やってるのか、判らないんだ」

「馨は観ないのか、自分の番組?」

 コーヒーカップを取りつつ、光洋は画面を見つめる。

「観ないなあ。あんまり俺ら、テレビ見ないんだ。時間がもったいないし」

ああ・・・光洋は顔をしかめる。息子に馨との事を惚気られては、反応に困る。

 

ー本業が忙しくなったからとレギュラー、抜けないでくださいよー

ーえ?いつから私、レギュラーになったんですか?どなたかのつなぎだとかって聞いていたんですが?−

ー先生・・・−

 

おかしなボケをして、司会者を困らせている馨を見て、光洋は驚く。

こんなに開放された、明るい馨の笑顔は何年ぶりに見るだろうか。

笑っていても、目が笑っていなかった。どこか冷たい雰囲気の笑顔・・・

そうしてしまったのは自分だと知っている。自分といる間、馨はいつも憂いに満ちた表情をしていた。

それはある意味、恋をする者の物思いではあるが、それだけではない。

不倫という、袋小路に追い詰められた未来の無い絶望感・・・

服部の部屋で始めて見た、馨の天使の笑顔は今でも忘れられない。

 

ーお願いしますよ?先生だけが頼りなんですからー

 

司会者の言葉で、会場は笑いの渦に巻き込まれる。

「馨のイメージが、かなり変わったな」

コーヒーを飲みながら、光洋は笑う。

光輝も今まで知らなかった。つい最近、馨はすましていると指摘したばかりなのに・・・

「あんなに愛想いいのか?テレビで・・・」

自分だけのモノと思っていた天使の笑顔を、大衆に取られた気分だった。

 「お前が馨を変えたんだ」

その事実を、光洋は認めるしかなかった。

 今なら信じる事が出来る。光輝が馨の運命であったと・・・

「しかし、長かったぞ?馨に辿り着くまで」

初めての出会いは、桜華の高等部で光輝は高校生だった・・・

教師と生徒、原作者と翻訳者、立場を変えながらも何度も出会った。

しかし、不倫相手の息子から最愛の恋人になるまでの道程は、容易いものではなかった。

そうか・・・光洋は笑った。

馨は変わったのではなく、元に戻ったのだ。光洋と出会う前に。永遠の愛を信じていた頃に・・・

裏切られ、ズタズタになった心を元通りにする事は、どれだけ難しい事か。それを光輝はやってのけたのだ。

 「天使の微笑・・・馨の事を、そう呼んでいた時期があったんだ。大学生の頃・・・」

飲み干したコーヒーカップをテーブルに置いて、光洋は寂しくそう呟いた。

「親父にとって、馨は何なんだ?」

光輝がそう聞いたのは、責めている訳でも、嫉妬心からでも無い。馨の傷が癒えた以上、余計な罪悪感を持って

いて欲しくなかったのだ。

「初恋だった・・・と言えば、滑稽か?」

いいや・・・首を振りながら、光輝は立ち上がる。

今なら、父の気持ちが判る気がした。

自覚無しに大切な人を粉々に打ち砕いた。自分を犠牲にすることが出来ず大事な人を犠牲にしてしまった・・・

そんな間違いを、きっと誰もが犯す。人間は弱いのだから・・・

だから、強くなりたかった。そして、馨は強かった、誰よりも。故に馨は、やはり天使なのだ。

「なあ、堕天使も一応、天使だろ?」

そう言って、自分の部屋に向かう光輝の後姿に、光洋は笑う。

堕ちても、いや、堕とされて翼を無くしてもなお、馨は天使でい続けた。光輝の為に。

(そう言うことか・・・)

  自分には、もともと馨を愛する資格など無かったのだ。

それに気づかないとは、なんと愚かな事か・・・いや、知っていた、多分。

知っていて、気づかない振りをしただけなのだ・・・

それほど馨が欲しかった。手に入らないと判っていたから、なおさら・・・

 

 

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