大学教授 3
「何だ?寝室でも仕事かよ?」
寝室のテーブルで、ノートブックを開いて作業中の馨に光輝は呆れる。
「ああ、いや・・・」
あわてて作業を中止する馨が最高に怪しい。
「何を書いてるんだ?小説か?」
洗い髪をタオルで拭きつつ、光輝はベッドに腰掛ける。
「うん・・・エッセイ・・・かな」
「ノンフィクションは苦手じゃなかったのか?」
うん・・・かすかに笑って馨は立ち上がり、引き出しからドライヤーを取り出すと光輝の髪を乾かし始める。
「自然乾燥でいいって・・・俺、そんなにハネないし」
「これから毎朝出勤するんだから、ちゃんとしないとな」
今日から光輝は、麻生教授の下で助手として大学に通い始めた。
光洋とは、あと何ヶ月かは同じ大学にいる事になるが、麻生の手前、会話を交わす事もあまり無いと思われる。
「あれか?スーツとか、あと何着か買い揃えないといけないのかな・・」
「ああ・・・これから、それが仕事着になるな」
そう言いながら馨はドライヤーをしまい、光輝を振り返る。
「肩凝って嫌だな・・・」
ラフな格好をしたがる光輝だが、馨はスーツ姿の光輝が好きなのだ。
「そうか?似合っているのに」
「マジ?惚れ直した?」
「俺なんかより、光輝のほうが体格的にずっと似合ってるし、俺もお前のスーツ姿好きだな」
ほんと?光輝は自分の前にやってきた馨を見上げた。
「毎朝、お前にネクタイ結んでやるのも楽しいし」
ベッドに腰掛けている光輝を見下ろしつつ、馨が光輝の肩に両手をかけると、光輝は馨を持ち上げて自分のひざの上に座らせた。
「馨に、毎日ネクタイ結んでもらえるのはラッキーだけどな〜」
出逢った時、馨は高校教師で、光輝は高校生だった・・・・その光輝が今は大学の助教授・・・・
「鷹瀬光輝も大きくなったな・・・」
馨に大笑いされて、光輝はむっとした顔をする。
「なにそれ?」
「昔は可愛い高校生だったのに・・・」
「そう?佐伯先生は、昔も今も可愛いけど?」
光輝の生意気なところは昔も今も同じだと、馨は苦笑する。
「本当はさぁ・・・一目惚れだったんだ。今気づいたけど・・・だからちょっかい出したんだと思う」
そう言って馨を見上げる光輝の瞳が、高校生の頃の儚げな輝きを見せた。
初めは鷹瀬光洋に似ていると思った光輝も、今見てみるとまるで違う・・・・
外見が、たとえ似ていたとしても、中身は違う、別の人格なのだ
「俺も初めから魅かれていたのかもな・・・・お前はいつでも俺を照らす太陽だった・・・」
そう言いつつ、近づいてくる、憂いに満ちた馨の顔に光輝は我を忘れる。
何年たっても、どれだけ肌を重ねても、光輝は限りなく馨に魅かれる。
まるで初恋のように・・・・
(親父もそうだったのかな・・・)
ふと、そんな事を考えていると、馨の唇が自らの唇に降りてきた。
馨の柔らかい唇の感触は、昔と少しも変わらない。しかし、出逢った頃の冷たさや、挑発的な棘は無い。
ー そんなに、よかったのか?これは、お前の親父に教わったんだ・・・・家に帰ったら教えてもらえよ ー
初めて馨にキスされた時、そう言われた。
愛情の欠片もない、情欲の行為と知りつつ、傷つきながらも翻弄されたあの頃・・・・とても懐かしく、愛しい。
憎みつつも惹かれあっていたあの頃。傷つきながらも愛さずにはいられなかった愛しい人。
あの頃とは似ても似つかない優しさで、侵入してくる馨の舌を光輝も、そっと迎え入れる。
そんな初心な媚態にそそられながら、静かに音楽を聴くように、光輝は目を閉じた。
「光輝は、今も昔も、俺のアポロンだから・・・」
そう言って、もう一度唇が重ねられた時は、光輝は馨にベッドに押し倒されていた。
「どうしたんだ馨?最近積極的だな・・・やっと俺にハマってきた?」
「迷いが無くなったのかな・・・100%愛したら、もう離れなくなるから怖かったんだ」
ばーか・・・・苦笑しつつ、光輝は馨を組み敷いた。
「どうせお前は、俺から離れられないよ」
自信過剰な不敵さも、限りなく愛しい。
どれだけ離れようとしても、行き着くところはいつも鷹瀬光輝・・・・運命のように引き寄せられる。
「俺が離さないしな。そんな事、考えてないで、欲しいけりゃ欲しいって素直に言えよ?」
えっ・・・一瞬頬を赤らめて、目を伏せた馨が可愛くて、光輝は爆笑してしまった。
「恥ずかしがるなよ〜思春期のガキじゃあるまいし・・・でも、そういうところが、そそられるけど?」
「光輝!」
照れて怒り出した馨を光輝は抱きしめた。
「いつになったら慣れるんだろう?でも、信じてくれてるよな・・・・永遠を・・・」
いつからか、安心して朝が迎えられるようになった。隣に光輝がいる事が日常になった。
二人があたりまえになった。これが永遠に続くのだろうか・・・・
「え・・・また何か企んでる?身を引こうとか?」
黙り込んだ馨の顔を光輝は覗き込む。
「いや、そんな事さえ考えずに過ごしてたなと・・・お前といるのが当たり前になって。それって幸せボケか?」
普通はそういうものだろう・・・・と光輝は微笑む。
失くして初めて気づく大事な物・・・馨は大事な物を失くす事に慣れてしまっていた。失くす事に過敏になった。
そんな彼が、今は自然体で暮らしている事が、大きな進歩なのではないだろうか・・・
「馨がもっと幸せボケしたらいいな・・・」
「おい・・・・この年でボケるのか?」
「ああ、色ボケは大歓迎」
おいおい・・・・相変わらずの光輝が今も傍にいる。
「当たり前に暮らせばいい。俺とお前が一緒なのは当たり前なんだから」
そんな自己中心的な光輝の理論にさえ、今の馨は素直に頷ける。
「俺が決めたんだから」
ー貴方は私の神ですー
昔、光洋に捧げた言葉を、今一度光輝に捧げる。
いつの日も馨の心を照らしていた太陽神は、馨の中で決して沈むことは無い。
そっと馨の手に指を絡めると、光輝は馨の左手を持ち上げて手首の傷にくちづける。
「かなり薄れてきてないか?」
消えることは無いけれど、年々薄れてくる傷跡・・・
「光輝のお陰・・・だな」
傷跡は傷跡でしかない。そう思えたのは光輝のお陰。
「蝋梅の香りがする・・・・」
闇に咲く蝋梅・・・・
「俺、蝋梅の香りでスイッチ入るんだ・・・パブロフの犬みたいだろ?」
「条件反射? でも、いつも嗅ぐ香りは、だんだん嗅覚が麻痺して感じなくなるんじゃないのか?」
普通はそうなのだろう・・・
「そうなんだけどな・・・でもそんなに強い香りじゃないし。シャンプーとか、石鹸とかの香りに紛れて割と判り難いから、
麻痺するほどじゃないかもな」
「自分じゃ判らないけど・・・光輝は鼻が利くんだな」
いや・・・光輝は笑って馨の首筋に顔を埋めた。
馨の蝋梅は、肌が熱を帯びると更に強く香るという事実を、光輝はあえて秘密にしている。
光洋が馨に話したかどうかは判らないが、彼自身、自覚が無いようなので、あえて言わない。
自分だけの秘密には、もう出来ないけれども、光洋に知られている以上、馨には言いたくない。そんなこだわりがあった。
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