帰還と逃亡 3

 

 

 

午後に近くの商店街に出て買い物を済ませ、遅い昼食をとるため、ファミリーレストランに席を取る馨と光輝。

「ATMで現金おろしたから当分は大丈夫。結構、気付かれないな・・・」

世間一般の昼食の時間を過ぎているため、客は少ない。

馨はマスコミ対策でいつも伊達眼鏡を常備していた。

そして、変装用に買い求めた、綿シャツとジーンズといういでたちになってしまえば、大衆に埋もれてしまう。

とりあえず、逃亡した時の服装を、普段は着ない装いに変えただけで、人目は避けられた。

「お前なんか、大学生みたいだぞ・・・」

光輝は、わざとトレーナーに綿ズボンを合わせて若作りした。

「なんか、すげーラクだな。人目気にしないって」

誰も見向きもしない。それがなんとラクな事か・・・

「でも、あまりうろつかないほうがいいな。というか、これで冬眠できる」

人の中にまぎれている・・・これが心地いい。

「今冬じゃないだろ?」

ショッピングバッグを手に馨は立ち上がる。

車で移動するほうが見つかりやすい気がして、バスで移動した。

「そうか・・・」

会計を済ませて、馨と光輝は店を出る。

「食いたいものがあれば買えば?りんごとかバナナとか・・・」

「ないよ」

遠足じゃあるまいし・・・馨は呆れる。

「ちゃんとメシ食えよ?また痩せちまったじゃん・・・」

「お前も、人のこと言えないだろう」

「誰のせいだよ」

また・・・・光輝はかなり根に持っているらしい。

思えば二人、初めて出逢った日から心が穏やかな日々はあまり無かった。

「お前に逢うまでは、俺はのほほんと生きていた・・・のにお前が現れてからは、辛い思いしかない」

しかし、その辛さは光輝自身が望んだ事。

 

ー俺は裏切られても、傷つけられても、真実の恋がしたいよ。一生その人の事が忘れられないような・・・ー

 

高校生の時、光輝はそう望んだ。

皮肉な事に、その願いは叶い、馨への想いに苦しむことになる。

「まあ。自業自得なんだけどさ・・・」

知れば地獄の苦しみだが、それでも馨と過ごした短い時間を思えば、それくらいはなんでもなくなる。

「だから、今回、世間になじられても、はじかれても、それを受け入れる。これは高校生の時、

俺が望んだ事だから。それに、そんなに悪いもんじゃなかったぜ?お前がいた日々は。」

うん・・・・

バス停で、来たバスに乗る。

一番後ろの席で、光輝と並んで座り、揺られる・・・今までこんな事も無かった。

ゆっくり、色んなシーンを楽しむ事さえ出来ずにいた。

世間、体裁、倫理・・・何も気にしない立場に立つと、こんなにも楽なのか・・・

光洋との日々は、隠された、切迫した関係だった。

人目を忍ぶ事に慣れていた馨は、こんな穏やかな時間を知らない。

「ありがとう。やっと楽になれた。お前が暴露してくれたお陰だ。」

そっと、傍にある光輝の手を握る。

「篭ってるのも、もったいなくなった。どこか行こうか?そのうち。」

天気のいい日に、自然に囲まれてのんびりするのもいいかもしれない・・・

ああ・・・

頷いて馨は立ち上がる。光輝も続いてバスを降りた。

 

 

 

「光輝・・・ちょっと」

戻った旅館の廊下で、君子に呼び止められた。

馨を先に部屋に戻して、光輝は、非常階段の踊り場に引き込まれる。

「お連れの方、佐伯先生でしょ?」

担当さんと呼びはしたが、ここに来た時から気付いていた。

「もう、知ってるよね。テレビで騒がれてるから」

君子は頷く。

「佐伯先生ね・・・大学生の時、ここに来た事があるの・・・・」

10年以上前の事だった・・・白く儚げな佇まいは今も変らない。

「それ・・・・親父と一緒だったんだろ・・・」

「知っていたの?」

「いや、ここにあいつが来たというのなら、親父が連れて来たことは明白だ。出張のたびに

馨を連れまわしてたらしいからな。」

君子の心配が何か判るだけに、光輝は少し苦しい。

「じゃあ、兄さんとどういう仲だったか・・・」

「叔母さんの知らない事まで知ってるよ。あいつの”聖痕”な、親父との心中未遂の痕なんだ」

沈黙が流れる・・・・・

新井俊二の事件は、もう遠い昔になっていた・・・・

それを今さら蒸し返そうとしている自分に、少し呆れたりもする。

「心配しないで。全部知っていて、してる事なんだ。軽蔑していいよ、親父の捨てた男に、

俺は入れ込んで・・・・」

「光輝・・・・」

「大丈夫、まともな精神で考えてるから。叔母さんの事だから、親父には俺がここにいる事、

話したんだろ?」

ええ・・・・

光洋が助手と言いつつ、連れて来た大学生。素直で純真な白い姿の裏に君子が見たのは

背徳の陰・・・

客商売の身だ。勘で、たいていは、どのような仲かは判る。

兄は学生時代から、浮名が絶えないプレイボーイで、それでも修羅場にならない幸運な体質で、

好き勝手に世を渡っていた。

教授になっても、色々あることは、うすうす勘付いていた。

しかし、家庭に波風を立てることも無く、うまく陰でコソコソしていた。

その後、ふとテレビで見かけた新進作家の対談番組には、あのいつかの大学生の面影があった・・・

しかも、手首に傷を持つと言う。昔、ここに来た時には無かった傷・・・・

神を愛した咎を受けて出来た傷と言う、その自称”聖痕”は、兄がらみの香りがした。

そこに、光輝が翻訳で関わってきて、新井俊二の事件が・・・・・

「兄さんから光輝に伝言よ、『馨を頼んだ。二度と手放すな』」

兄さえ、この関係を認めているとなると、もう何も言う事はない。

「うん、あのさ、もうすぐ大事件になると思うから、誰にも俺らの事、言わないでくれ」

ここにいきなり来た時から、見当はついていた。

生放送の記者会見で、いきなりラブシーンを演じて逃亡した光輝が、頼ってきたのだ・・・

とりあえず、光輝がここで身を隠している事を、光洋に電話で告げた。

電話口の兄は、今回の事で、安心したような口調だった・・・・

「佐伯先生を手放さないために、光輝は今回の行動に出たのね。私も客商売だし、野暮な事は言わないわ。

佐伯先生には兄さんの所業の負い目があるから、合わせる顔もないし、私は気付かない振りしておくわ」

うん・・・・

光輝は微笑む。

「もう何も言わないわ。兄さんもあんたも、覚悟の上なら、何も言う資格無いもの」

そう言って去る君子の背中を、光輝は見送り、部屋へと向かう。

 

TOP        NEXT

 

ヒトコト感想フォーム
ご感想をひとことどうぞ。作者にメールで送られます。
お名前
ヒトコト

 

 

inserted by FC2 system