インビテーション 1
出版社の思惑通り、鷹瀬光輝の英訳本は英文科の大学生達がこぞって読み始めた。
今話題のカップルの合作と言う事で、興味本位で手をつけた学生達は、
鷹瀬ジュニアの七光りではない実力を認めることになる。
新井俊二は、ただの話題提供をしただけの、道化と成り下がった。
「おい!野口、一体どうなっているんだ?」
佐伯馨の事を持ち出しておいて、最近音沙汰の無い野口暁生を、新井俊二は書斎に呼び出す。
「どうもこうも・・・」
感心なさげに野口は煙草をふかせる。思ったより佐伯馨の支持率は高かった。
天使の仮面を剥がすつもりが、民衆に総スカンを食らった。
皆、佐伯馨という偶像に酔いしれている。自らの天使が堕天使である事実を、決して認めようとはしない。
元来、悪魔は天使を装って目の前に現れる。天使よりも天使らしいその姿に、皆は魅了される。
もし、心中未遂の事実が証明されても、鷹瀬光洋を悪者にして、佐伯馨は悲劇のヒロインとして美化されそうな
勢いである。
ふうー 野口は久しぶりに敗北感を味わった。
「先生、もう、あきらめたほうがいい」
馨は命乞いをしない。罪を背負って、弁解一つ無い。責任転嫁もしない。
付け入るスキなどない。そればかりか、迂闊に手を出せば、諸共に地獄に落とされそうである。
「何を!お前から言い出したことじゃないのか?」
プライドを無くした文豪は、後輩の足をひっぱって這い上がろうともがく。
「アレは、本物の堕天使だ。諸共に地獄に堕ちる覚悟があるなら、やればいい」
はあ? 新井は、野口の言葉の意味が判らず眉をしかめる。
「相手を蹴落として自分が生き残ろうとしている間は勝てない。死なば諸共、特攻隊の覚悟が無きゃ駄目さ」
「何故・・・・」
「あいつ自身が、そういうところをくぐってきたからさ。ただ、純粋に相手に命を捧げた・・・そして裏切られた・・・
そんな深い絶望を体験した奴でなきゃ、あいつには勝てない。つまり、文字通り地獄を見てきた奴でなければな」
地獄から馨を引き上げたのが、鷹瀬光輝・・・・
二人のいきさつに、どんな内容があったのかは判らないが、光輝は馨を照らす光だ。
「つまり、そんな大きなリスクを払ってまで、。佐伯馨を貶める気は俺には無い。人の弱みを飯の種にして
上手い汁、吸いたいだけなんだからな」
そう言って、煙草の火を灰皿で消すと、野口は立ち上がった。
「俺は手を引く。やりたければ、死ぬ覚悟でやりな」
立ち去る野口の背中を見つめつつ、新井俊二は途方にくれる。
芸能界のハイエナも手を出せないという堕天使とは、どんな存在なのか・・・・
確かに、こんな状態でも、鷹瀬光洋はダメージ一つ追わずに、涼しい顔をしている。
義兄の服部教授は”新井俊二が書いたにしては、この上ない駄作だ。ゴーストライターが疑われる”と攻撃してくる。
佐伯馨のファンの、新井俊二攻撃は、とどまる事を知らない。
日に日に、矛先は佐伯馨から新井俊二に向けられる・・・・・
(死ぬ気が無ければ、勝てないか・・・)
佐伯馨と心中する気など無い。ただ、妬ましかっただけだ。
(佐伯は、私たちの手にはおえないということか・・・・)
凶暴さは感じないが、深い闇のような冷たさが馨にはあった。底なしのブラックホールのような・・・・・
ー本当の絶望と言うものを、先生は体験された事がありますか?−
以前、微笑みながら、馨は新井にそう言ったことがある。確かに馨には死の匂いがした。
手首の傷は、聖痕であり、堕天使の烙印でもあった。
皆が彼に惹かれるのは、そんな滅びの危うい毒なのかもしれない。
我知らず、危険で甘美なものに惹かれているとしたら・・・
人は、あやういもの、危険なものに何故か魅かれるものだ。
鷹瀬光洋は、その毒にあてられて心中を決意したとしたら?
(とんだ死神じゃないか!)
新井はため息をつく。
こんな悪魔に、親子共々かかわっている鷹瀬親子の気が知れない。
(手をひこう)
そう思う。堕天使に破滅させられる前に・・・・
「馨?最近、野口が馨から手をひいたとか言う噂があるんだけど・・・・野口に何かした?」
外回りのついでに馨のマンションに寄った玲子が、ふと思い出したように訊いた。
「いえ・・・何も。」
紅茶をトレイに載せて馨は振り返る。
「そう言えば、あれから姿見せないな・・・」
ダイニングのテーブルの、玲子の向かい側に座っている光輝が馨を振り返る。
「あれから?」
「出版社の駐車場で、あいつ、馨にちょっかい出してたから、睨み利かせたんです」
ふうん・・・・
うなづく玲子に、馨は紅茶を差し出す。
(そんな事ぐらいで、あのハイエナが引き下がるとは思えないけど・・・)
不審顔で紅茶を受け取り、玲子は、光輝に紅茶を差し出す馨を見つめる。
「新井俊二も、おとなしいのよね・・・」
「馨のファンに、メチャメチャけなされてたからじゃないですか?」
「まあ、いいわ・・・あっさり終わっちゃったけど、リスクは少ないに越したことは無いから」
にしても、鷹瀬光洋の無敵さには、玲子も呆れた。
渦中の人であったはずなのに、周りは一切そのことに触れない。
心中は計り知れないが、一貫されたノーダメージ・・・・・そればかりか、野口を威嚇していた。
(絶対鷹瀬教授は天性の悪人だわ・・・・)
無言でうなづく玲子を、馨と光輝は不審げに見つめていた。
「でも、馨の支持率もたいしたもんだな」
「ほとんどアイドル的人気だけどね・・・・」
光輝の言葉に玲子はうなづいた。
民衆は、自らが作り上げた天使の偶像を壊されたくないのだろう。
「光輝君の訳本もこの騒ぎで、国内でも大売れだし、良かったわね〜」
まんまと出版社の思うツボというところだろうか・・・
次の仕事依頼も、光輝の元に山のように来ている。
そして断った話・・・・・・アメリカの大学の特別招待講師。
「光輝も、次の仕事、請けないとな・・・」
依頼が来ているうちが華だ。えり好みすると機会を逃しかねない。
馨の心配はそこで、光輝の心配は、仕事を入れると、もう馨のところに度々来れなくなる事・・・・
「馨絡みの仕事、もうないのかなあ・・・・」
無理を承知でそんな事を望んでみる。
「好き嫌いしないで請けなさいね〜業界はそんなに甘くないのよ〜」
玲子の冗談ぽい口調に微笑みつつ、馨は紅茶のおかわりを玲子のカップに注ぐ。
「俺も、当分は教材の監修のほうをやるから・・・・」
ダメージは最小限とはいえ、あんなことがあった後、しばらくは地味に活動していたいのだ。
「え〜〜そうなんだぁ〜〜」
不満げな光輝の表情に、馨と玲子は大笑いした。
幸せだった、限りなく永遠を実感できるひと時だった・・・・
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