スティグマータ 4

 

光輝の英訳本の出版記念パーティが出版社内で行われた。

全2巻のうちの上巻の出版記念なので、とりあえず内輪だけにしたつもりが、

新井俊二のお陰で、記者たちがわんさかと押し寄せた。

今回の主役である、鷹瀬光輝、原作者の佐伯馨が並んでいる姿を皆、興味深々で見つめている。

 

ー俺は、お前との事を、恥る事も隠す事もしない。わざわざバラす事もしない。いいなー

前夜、光輝は寝室で馨にそう告げた

ーそれでいいのか・・・教授はどうなる?−

光輝の肩に乗せた頭を、馨は少し浮かせて馨は光輝を見上げた。

ーあいつが元凶なんだ。庇うことは無い。それとも・・・お前まだあいつのこと・・・−

くすっ・・・・

光輝の嫉妬深さに。馨は呆れた。

ー心配したのは、お前の親父さんだからだ。理由はそれだけだ。−

そう言って指を絡ませてくる馨に、光輝は戸惑う。

少しづつ馨は甘さを増してくる。誘惑するそれとは違う媚態に、どう対処していいかわからない。

出会った頃の、氷の女王はもういない。

(やべ、こんな馨・・・理性なくす)

強く抱き寄せて、ため息一つ。

ー最近、お前 反則だぞー

 

覚悟はいつでも出来ている。新井俊二がこの場にまぎれている事も、気づいている。

隣にたたずむ馨の白いうなじ、何時間か前まで触れ合っていた肌に軽いめまいを感じつつ、茶番劇が始まりを告げた。

 招待客がそれぞれ祝辞を述べる中、新井俊二が現れると場がいきなりざわついた。

「新井先生、来ていただけて光栄です。ぜひ、サインしていただけませんか?」

と、光輝が差し出したのは、話題の小説”スティグマーター”だった。

(なんてふてぶてしい・・・・)

馨は隣で呆れる。これは明らかに挑戦状を突きつけるようなものだ。

「もちろん、喜んで。鷹瀬ジュニアにサインなんて、こちらこそ光栄です」

笑いあう二人に暗雲は立ち込めていた。

「佐伯先生、一言どうぞ・・」

記者にふられて、馨は微笑む。

「今日は介添えで来ただけですから・・・」

 「鷹瀬君とは何かと縁がありますね」

 「そうですね」

「高校時代のエピソードなどありませんか?」

「彼は女学生にモテまして、当時、光の君と呼ばれていましたね」

「光の君と薫の大将・・・・ですか?」

振り向けば、野口暁生がそこにいた。

「佐伯先生の、大学時代のニックネームだそうですね」

 ははは・・・何かを仕掛けてくる気だ・・・馨は破顔った

「よくご存知ですね、さすがは芸能雑誌の記者さん。でも、私は芸能人ではありませんから」

30代半ばの若さで、ここまではばを利かせているのは、醜聞ばかりを追って、ワイドショーの顔になっているから。

とかく人は他人のスキャンダルが好きである。有名芸能人ならなおさら・・・

野口は中肉中背、鋭利な印象の顔立ちで、狡猾な雰囲気は隠せない。

裏では、ゆすりたかりの悪どい手口で、ハイエナと異名をとっていた。

「半分、芸能人でしょう?その美貌で成り上がったんじゃないんですか?大学時代、あちこちの教授達から

お呼びがかかってたんじゃないんですか?」

低俗すぎて吐き気がする。

「それは、才能の無い人がする言い訳に聞こえますよ」

笑顔でイヤミを言う光輝に、野口は笑顔で返す。

「君が言うと厭味に聞こえますねえ・・・鷹瀬ジュニア?」

笑いが込み上げてくる。悪意で見るならば、そうだろう。

容姿で成り上がった原作者、親の七光りの翻訳者・・・・ろくでもないコンビだろう・・・・

さらに、親父が不倫の末、捨てた男を息子が拾う・・・三流ドラマだ。

(世間から見れば、俺たちはそんなものでしかない)

判ってもらえるとも、判ってもらおうとも思わない。

 隠す気はないが、わざわざ話す気になれないのは、そういうところからきている。

「原作者と翻訳者をそのように仰ると言う事は、ウチの出版物に対しても、何かご不満があると言う事でしょうか?」

主催者である社長が、見るに見かねて出てきた。

場が荒れることは予想できていた。いや、むしろ今のこの話題を利用しようとしてさえしていたのだから。

英語圏に輸出するこの書籍、国内でも売ろうと・・・・・

「ここは一旦、お引取りを・・・」

編集長が後ろから声をかけた。これも段取りのうちだった。

半強制的に野口は、その場から退場させられた。

 

事件からしばらくして、光洋が姿を現した。

会場のぎこちない空気に、光洋は編集長に耳打ちする

「何かあったんですか?」

「いえ・・・野口が佐伯先生を、なりあがり者と。光輝君の事を七光りだと厭味を言いましてね・・・」

案じていたことが起こった。

光輝が血気に走らないか心配で、迷いつつも来てしまったのだ・・・

自分の事はさて置き、馨の事となると理性を失う。頭に血が上って暴力事件でも起こさないかと・・・

「さすが、息子さんはお若いのに貫禄がありますね。顔色一つ変えず、笑っていましたよ」

「あいつが・・・・・」

光輝の落ち着きは、最愛を得た自信。馨以外の何者をも必要としない確信。

(もしも・・・)

光洋は考える。

自分が若いときに、そう、結婚する前に馨に出会っていたなら、今の光輝のように自信と確信を得られただろうか。

最初に出会ったのが、馨だったなら・・・・・

そんな事を考える事さえ、おこがましい気がした。

二人を苦しめている事件の元凶は、自分が犯した罪だと言うのに。

光輝の隣の馨は、穏やかな表情で笑っていた。

その昔、天使の微笑と名づけたあの微笑より、数段美しい。

もう、あの天真爛漫な純粋な笑顔ではない。今は、愛するものを包み込み、癒す聖母のような神々しさを感じる。

(光輝が馨を変えたんだ・・・・)

光輝にしかできなかった事。

自分が馨にしたのは、毒の棘を天使の薔薇に植えつけた事・・・それだけだった・・・

「私の出番は無いようだ。このまま帰ります」

「え?」

編集長は引きとめようとしたが、光洋は立ち去った。

「七光りと言われるのが、あいつは一番嫌いなんですから・・・」

そういい残して・・・・

 

 

総てを終えて、光輝と馨は地下にある駐車場に向かう。

「あ、預かった、大学に贈呈する本、置いてきた」

光輝は来た廊下を引き返す

「駐車場で待っててくれ」

馨にそう告げて・・・・

 

薄暗い駐車場の車の横に立ち、キーを上着から取り出したとき、馨は何者かに肩をつかまれた。

「佐伯、俺は諦めない」

「野口」

あっという間に壁に背を押し付けられ、野口の両腕に閉じ込められた。

「何のまねだ・・・・」

「お前を貶めるのが目的じゃないんだ。お前さえ言う事を聞いてくれれば、スキャンダルなどもみ消してやる」

ふっー

自分で騒ぎを起こして、もみ消してやるとは・・・

「証拠はあるんだぞ?しらばっくれても、証人はいる。お前は鷹瀬教授と不倫の関係にあった。」

それが・・・どうしたと言うのだ・・・

氷の女王の冷血な笑みを馨は浮かべる。

「この傷・・・」

馨の左手を、野口はつかんで顔の横の壁にに押し付ける。

「心中しかけて、ドタキャンされたんだってな・・・・」

そんな言葉はもう、今の馨を傷つけはしない。

「とんだ堕天使だな。お前・・・今度は息子をたぶらかした・・・」

(何とでも言え)

そんな罵倒は、もう慣れていて痛みすら感じない。

「親子ともどもくわえ込んだのか・・・」

そうか・・・玲子の言っていた事を思い出した。

野口暁生は、スキャンダルをネタに関係を迫る。その毒牙に多くのアイドル、女優がかかった・・・・

そして・・・・・

彼は、バイ。

「興味あるのか?お前も、くわえ込まれたいのか?」

昔、高校教師だった頃、光輝に仕掛けた罠を野口に仕掛ける。

暗闇の中で馨の瞳がぎらぎらと光る。

「欲しいのか?俺が?」

野口は鳥肌が立つのを感じた。

ゆっくりと馨は顔を近づけると、野口の耳朶を軽く噛んだ。

「覚えておけ、俺は毒の棘を持つ背神の薔薇だ・・・・摘み取ると、お前も堕ちるぞ」

血の匂いがした。馨が昔、流した血の匂いが。あの時、手首の傷から流れ落ちた血の匂いが・・・・

死の淵を見た者の、背徳の陰が野口暁生を襲う。

逃げなければ・・・そう感じた。足がすくんだ。

「おい」

肩を後ろから掴まれ、野口は助かったと思った。

その手は暖かい、生きた人間の手だったから・・・

「何してるんだ!」

光輝に睨まれても、野口には彼が救いの神だった。

「佐伯先生に付きまとうな!」

強い力で野口を押しのけ、光輝は馨の腕を引いて去ってゆく。

あと1秒でもそこにいると、闇に堕ちていた。そんな気がした。

(鷹瀬光洋は、あの魔性に堕ちて心中を持ちかけたのか・・・・・)

しかし、さっき光輝が現れたとたん、闇は去り、光がさした。

(あの堕天使を扱えるのは、鷹瀬光輝だけだとでも言うのか?)

命を懸けてまで、佐伯馨にかかわる気など無い。割りにあわないと思う。

(手を引くべきか・・・)

野口はため息をつくと、暗い天井を見上げる。地下だけに、圧迫感が胸を締め付けてきた。

  

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