スティグマータ 2

 

 その日、光輝は松田直美とカフェにいた。

直美の兄から借りていた部屋を返す事になったので、荷物を引き払い掃除した後、合鍵を渡すために会った。

「先輩、お部屋綺麗に使ったね〜家具にも壁にも傷一つ無いよ、修理するものも無いし〜」

光輝は苦笑する。

馨のところに入りびたりで、あまり、あの部屋にいなかったのだから・・・

「ご馳走様〜行くね」

立ち上がる直美と一緒に、光輝も立ち上がる。

カフェを出て、デパートの広いロビーに出ると突然、馨の声がした。

 

ー新井先生は尊敬する作家ですし、よくしていただいてます。人格者でもあられます、そんな先生が、

あてつけるような事をするわけ無いでしょう?ー

 

「あ、佐伯馨・・・今日、対談番組あったんだ。しまった!忘れてた」

ロビーに置かれたモニターからは、番組のホストである、中堅の大型有名女優と向かい合った馨の姿が見えた。

 

ー今日は営業だから・・・−

そう言って、普通に笑って出て行った馨・・・

光輝は唇をかむ

「今、ちょっと話題の人よね・・・でも、何で、新井俊二の小説が佐伯馨の事、書いてるなんて言われてるのか

判らないな・・・・」

直美はモニターに近づく

確かに、自らの手首の傷を馨は聖痕と言っていた・・・が、知られているのはそれだけなのだ。

他のものは知らない・・・・・

野口暁生が絡んでいるとしか思えない。野口はどこまで調べてあるのか・・・

 

ーこの作品の大学教授ですが・・・鷹瀬教授とも言われていますね。そうなると、

教授の息子さんの鷹瀬光輝君とは高校時代の教え子と恩師という事で、シンクロしているんですよね・・・−

 

下世話に突っ込んでくるホストに怒りを覚えつつ、光輝はその場を離れられない。

「でも、あの新井俊二が同性愛、さらに親子と関係持つなんて内容、書いた事自体、信じられない」

直美もモニターに見入る。

恐らく、怒りに任せて・・・というか復讐的なものなのだろう。

 

ー確かに、先生は私が、この傷を聖痕と表現したのに対して、何か創作意欲を掻き立てられたようですが、

そんな肖像権を犯すような事をされる方ではないことは、皆さんご承知と思いますー

 

かなりの余裕で馨は答えていた。

あくまでも新井俊二をけなさず、事実は否定している。

 

ー鷹瀬光輝君とは今、翻訳関係で仕事仲間ですが・・・−

ー彼は優秀ですよ、高校時代から古典に対する理解も深かったし。母校つながりで再会できて幸運でしたー

 

ふうー

ため息をついて、光輝はモニターに背を向ける。

「先輩・・・」

直美は心配そうに駆け寄る

「大丈夫だよ、こんな事、親父も俺も気にしてないし。」

「英文科でも、皆怒ってますよ。鷹瀬教授に限ってそんなはず無いって・・・」

鷹瀬教授に限って・・・光輝は苦笑する

 (そうだろう。親父は女子大生と浮名を流していた。男など相手にしない そう思われている・・・)

 「世間では皆 馨の君の味方ですよ。新井俊二が馨の君に嫉妬して書いたんだろうって・・・

「だって、こんな事あるはず無いじゃないですか〜 あったら変ですよ」

(変か・・・・・そうだろうな・・・)

光輝は苦笑する。

自分達のしていることは、倫理から大幅に外れている。

「あんな天使のような馨の君に限って・・・」

直美の言葉に心が痛む。

 そうさ・・・・馨は天使だ・・・昔も今も・・・悪いのは・・・

めまいがする。

光輝は駆け出していた

 

 

「光輝!」

気づけば商店街の真ん中で、服部が腕をつかんでいた。

「光洋から、今日は部屋を引き払う件で、松田君と会うと聞いて探していたんだ」

光洋とも和解して、家に戻る事になっていた。

「伯父さん・・・」

「見たのか?放送?あわてるな、そうでなくても学長が怒って、のりこんだとこだ」

たしかに・・・・

看板教授の鷹瀬光洋、いま話題のOB、佐伯馨 、徐々に認められつつある鷹瀬ジュニア 

3人をまとめてコケにされたのだから、学長もたまるまい・・・・

「これは学長の圧力で収まるはずだ、お前が出るまでの事じゃない。とにかく家に帰ろう。送る」

いつまでも服部は、尻拭いに奔走させられる

「伯父さん・・・いつもすまない」

「いいさ」

駐車場に向かいつつ服部は苦笑する

鷹瀬光洋と友達だったのが、第一の過ち・・・・

妹と光洋の結婚を許したのが、第2の過ち・・・

馨と光洋の事を未然に防げなかったのが、第3の過ち・・・

もう数えればきりがない

 駐車場の車に乗り込むと、光洋の家に向かう

「佐伯の事は心配ない。見たところ、少しも動揺していない。お前がいるからか?すごいな・・・」

服部にそう言われても光輝は、自信が無い。

 「佐伯を離すな。頼む。」

自分と光洋がずたずたにした天使・・・・

今更だが、そして勝手だが、罪滅ぼしを光輝に請う。

「俺でいいのか?」

「お前しかいない・・・・」

それが、服部と光洋の出した結論だ。

「お袋は・・・なんて言ってる?今回の新井俊二の本の件・・」

「気にしてないさ。今じゃあ、夫婦仲は最高にいい。過去最高にな。だからもう、過去はあいつの眼中に無いさ」

そんなものか・・・・光輝はうなづく

しかし、たしかに母は明るくなった。

「いつか、お前も引っ張り出されるかも知れないが、堂々としろ」

ああ・・・・・光輝はうなづく

恐らく、光洋はお構いなしだろう。有名タレント教授をたたけるほど、マスコミも強くは無い。

だから次は光輝の番だ・・・・

「光洋も何気に圧力掛けてるから、この件はそのうち消える」

それに・・・もう十数年も昔の事・・・真実を探る手立ても無い。

自分達はその間大きな峠を、いくつも越えて来たではないか・・・・

 「にしても、家に帰っちまったら、馨んちにいりびたれねえな」

光輝はため息をつく。

もうすぐ請け負った仕事も終わる。

その後も、馨と会うための口実が必要だ・・・・

「が・・・同居は今は、いかんぞ」

信号待ちで、服部はちらと光輝を見る。

そうだけれど・・・・

「とりあえず、作業所が他にあって、そこで仕事をしてる。という風に智香子には言ってある。

そこに泊まる事もあるからとな」

「でも、もうあと残り僅かだし」

拗ねる光輝が笑いを誘う

「なら、独立するとかしろよ」

「とりあえず、今晩は作業所に泊まり決定だから〜」

「おい!」

服部は呆れて光輝を睨む。

しかし、そんな光輝が頼もしい。

そうやって馨を第一に考えている事、いやむしろ頭の中には馨のことしかない事・・・

光洋ができなかった事だった。

 

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