トラップ 3
朝、早めに、服部の家につくと光輝は書斎に入る。
「伯父さん」
昨夜の服部の指示通り、やって来た光輝を、彼は迎え入れた。
「何処から来たんだ?家にいなかったようだが・・・」
「仕事の打ち合わせで徹夜したんだ」
馨の所から来たと、ほのめかす。
「佐伯のところか?とにかく、お前は翻訳をやることにしろ。光洋にも、そう言ったが一旦、お前は教授にはならない
という事で・・・」
「それで安心するのか?麻生は?」
安心・・・と言うより早まったことをさせないため・・・だろう。
智香子との関係も気になる。
「今日は知らん振りしろ、家に盗聴マイクを仕掛けたから、うっかり何かボロを出せばよし・・・でなければ長期戦だ・・・」
こういう才能は光洋には無い。いっそ、知らせず事を進めるべきだと、昨日電話で服部は光輝に告げた。
「佐伯には話したんだな?」
「ああ、それに佐伯が、伯父さんに話せといったんだ、護身術に長けているからと」
ああ・・・
いやみっぽいなあ・・・と服部は苦笑する。しかし、正解だ。光洋に言ったところで解決にならない。
「お袋は、麻生と不倫してるのか?」
今のところ、なんともいえないが、親切ぶって麻生が近づいているのは確かだ。
「だとしても、お前も、鷹瀬も何も言う権利無いぞ」
特に光洋は。
昨夜のうちに服部は、今までの愛情不足を詫び、これからは大切にすると誓うように、光洋に言い聞かせた。
今 起こっていることは一切告げずに・・・
光洋は知らなくていい。知らないまま、妻の不貞も通り過ぎるのだ・・・
「鷹瀬には何も言うなよ。麻生は、佐伯には直接、接触しないと思うが、何かにつけて関連付けてくるだろうし・・・
どっちにしても智香子は利用されているだけだから、麻生と関わって、いい事など一つもないだろうし」
学長が、変に光輝をかっているのも問題だった。
「伯父さんも苦労するよね」
光輝は気の毒そうに言うが、それもこれも、光洋と親友だったためだ。
大学時代からずっと、別れた女の後始末をさせられていた気がする。
妹の智香子が光洋に一目ぼれしてからは、気が気でない日々を送ってきた。
そして・・・今も・・・・
それでも、どこか憎めない。それが鷹瀬光洋の人徳なのだろう。
「ところで、佐伯とはどうなんだ?」
馨のところに泊まったと聞いて、気になってはいた。
「どうもこうも・・・俺とは、最後まで師弟として残りたいとか言われて・・・」
「手も足も出せないのか?」
少し情けなかったりする。
「佐伯は鷹瀬の我侭に、かなり苦労したんだろう。もう戯れに恋はすまじ・・・と、いうところだろう」
手折れば傷つき、傷つけると知っているから・・・・
「俺は、あいつが望まない事はしたくないから」
はあ・・・ため息をつく服部。
親父に似ない純情派だ。自己犠牲を行くというのか・・
しかし、馨を捕まえてやる事が、馨のためではないかと思う。
馨には光輝が必要なのだ。
「傍にいてやってくれ・・・」
大事な愛弟子を、親友のために捨てなければならなかった痛みは、今でも彼の心の奥底にある。
もしも、光輝が望むなら2人、添い遂げてほしい気になってきていた。
「鷹瀬教授が来られたわよ・・・」
ドアの前で服部の妻、明子がそう告げる。
「行こうか」
2人は苦笑しつつ、立ち上がる。戦争が静かに始まろうとしていた。
「兄さん、退院おめでとう。」
鷹瀬夫妻、服部夫妻、光輝が食卓を囲んで会食している。
「智香子にも、心配をかけたね」
何事も無かったかのように、服部は笑っている。
「麻生教授もお呼びしたのよ、いいでしょう?」
「麻生君と親しいんだな?」
探りを入れるように服部は訊く
「そう言えば、お前が入院してからは、よく家に飲みに来たなあ」
光洋は、のんきに、そんなことを言っている。
「この機会に、兄さんとも親しくなりたいとおっしゃって・・」
光輝は内心緊張していた・・・・
「それにしても遅いわねえ・・・麻生教授。佐伯先生にも会いたいとおっしゃっていたのに、来られなくて残念ねえ・・・・」
そんな話をしている最中に、麻生はやっで来た。
「服部教授、お邪魔いたします・・・」
そういいつつ、出迎えた明子に花束を渡す。
「いらっしゃいませ・・・どうぞ、お食事なさってください」
明子に勧められて、麻生は席に着く。
光洋とは対象的な鋭いイメージの男で、繊細で気は利く方だが、どこか胡散臭い感じも無くは無い。
策略家・・・とでも言おうか・・・
「服部教授の愛弟子は来られていないんですね・・しかし、すごい因縁ですね。
彼は、光輝君の高校の恩師でもあるなんて・・・」
(何が言いたいんだ・・・・)
皆の反応を見て、楽しんでいるように思える。
「鷹瀬教授が息子のように可愛がっておられましたよね・・・どこに行くにも連れていかれて・・・」
明らかに、悪意がみえみえだった。
「佐伯君は、お父さんを早くに亡くしていたので、私を父親代わりに慕っていたんだ、懐かしいなあ」
策略家ではないが、光洋はふてぶてしい。この手の嘘は簡単につく。
「本当に・・・仲のいい親子のようでしたよねえ・・・」
皆、微笑んでいるが、内心は嫌悪していた。
「彼の手首の傷痕の訳、ご存知ですか?」
ダイレクトに核心を突いくる・・・・
「教授、人の噂話は、はしたないですよ。」
笑いながらも、頭に血がのぼっている光輝は、反撃に出た。
「何か・・・知っているようだね・・・」
「いいえ、人には知られたくない事の、一つや二つあるんじゃないんですか?一々詮索するなど、教育者のする事では
ありませんよ」
はははははは・・・・・・
笑い声さえ、いやみな麻生・・・
「やけに庇うねえ・・・恩師だからか?それともパートナーだからか?」
もう何も言いたくなくなった光輝は、静かに席を立ち、庭に出る・・・
「すみません、あいつは正義感が強くて・・・上手く世渡りできるか、先々不安ですなあ・・・」
服部は苦しいフォローをする。
「翻訳の仕事を、とことんやりたいと言うから、やらせてみようと思うんだ。教授より向いている気がしないか?」
服部の言うとおりに、光洋は話を運ぶ。
馨の後始末をしてもらった借りがあるので、彼は無条件に服部の言うことをきく。
それに、今回も詳しくは判らないながらも、何らかのトラブルが起こっている事は察しているのだ。
え・・・
麻生は不意をつかれた。
まさか、光洋の口からそんな言葉が出るとは・・・・
「私の右腕は、麻生君だけだよ」
服部は満足げだった。
策略の影すら見えない光洋の言葉は、真実に聞こえる。
服部の多くの言葉より、光洋の一言がどれだけの力をもたらすか判らない。
これほど効果的なものはない。
「光輝も、親の七光りは嫌だというし・・・私も、手元で甘やかすのはどうかと思い始めたんだ」
半分本気な台詞だった。
麻生は表情をくずさないながらも、立てた計画を若干変更するべきか悩んでいた・・・・
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