ライアー 4

 

松田直美の兄、健史のマンションに光輝は自分の荷物を運び終えて一息つく。

ー出る時に家具類の破損があれば、保障してもらいます、家賃はこの口座に・・−

そう言って、彼は先に帰った。

「先輩、明日は卒業式ですね。」

直美はコーヒーを入れつつ、そう言う。

「うん、手伝ってくれてありがとう。早く片付いたよ」

「翻訳しながら、論文書いて・・・凄いですね」

ははは・・・

光輝は苦笑する。卒業後、専念する事を約束して、論文期間中は英訳を辞退していた。

「論文中は休業してた」

ああ・・・

直美は頷く

「ねえ、ここに佐伯馨先生が来る事、あります?」

「無いだろう」

そうか・・・残念そうな直美。

「一度、会わせてくださいよ〜」

「駄目、そういうミーハーな事すると嫌われるよ〜」

アイドル扱いされる事を、馨は一番嫌う。サイン会も本当はしたくないらしい・・・

「ちえっ・・・先輩いいなあ。馨の君に古典習って・・・一緒に仕事までして・・・」

「この前、特別講師で来てたじゃないか?」

直美はその日、英文科の講義には出ずに、人文学科の講義を受けていたのを光輝は知っている。

「あの時、受講生が溢れてたの知ってます?私、入れなかったんですよ」

皆、同じことを考えているらしい。

「どんな人なんですか?馨の君って」

「月みたいな人だ」

光輝の言葉に、直美は言葉をなくす。

光輝こそが、佐伯馨を心の底から理解している。そう思えた。

「敵わないな・・・先輩には」

 そんな話をしつつ、コーヒーを飲む二人、おかしな関係である。

光輝にふられた後、直美は何人もの大学生に告白してはふられ、ふられるたびに光輝のところに来て、愚痴りつつ泣く。

そして飽きもせず、新しい恋を見つけるのだ。

「いい加減、カレシ見つけろよ」

はあ〜ため息の直美。

「フラれ癖ついちゃった。どうしよう・・・」

「案外、友達から見つかるかもよ、カレシ」

そう、直美は高嶺の花を狙いすぎなところがある。

「ですかねえ・・・お兄ちゃんはモテるのになあ」

はははは・・・・

先に帰った松田健史は、光輝を気に入っていた。

有名な鷹瀬教授の息子と言う事もあるが、保証人をその鷹瀬教授でなく、服部教授に頼んだと言う事が

七光りをアテにしない様子で好感が持てたらしい。中の事情は何も知らない健史である。

「服部教授も近々、復帰されるし、もう馨の君は来ないんですね」

それでなくても、講義室が溢れて大騒動だったので、もう大学も呼ばないのではないかと思われた。

「じゃあ、帰りますね〜」

立ち上がると、直美はそういって笑う。

いい娘ではあるが、確かに男が恋愛の対象として見るタイプではない。

あまりにフランク・・・それが彼女の敗因だろう。

明らかに、馨とは正反対。

だから、余計に彼女といると馨を思い出す。

以前よりは柔らかくなったが、馨は依然として掴み所が無い。何を考えているのかわからない。

だから気になって知りたくなるのだ。

一人の部屋は静かで孤独だ。

馨と同じ環境に自分を置けば、少しは馨が判るようになるだろうか・・・

夕焼けが赤く差し込む部屋で、光輝は窓の外に目をやる。

 

 

「兄さん。新学期から復帰ね・・」

智香子が服部の病室を訪れた。

「鷹瀬は?」

「明日の準備で帰り遅いの、光輝も家にいないし・・・来ちゃったわ」

 息子が家を出て、彼女は心の空白をもてあましている。

「鷹瀬とは、問題ないんだろ?」

夫婦水入らずでかえってよかったかも、と思っていた服部は、にわかに不安にかられる。

「問題は・・・ずっと前からあったわ・・・いえ、最初から」

と、寝台の横に椅子を持ってきて腰掛ける。

「あの人が私を愛していない事は知っていたの。最初、優しくされて錯覚して・・・私が夢中になって結婚して・・・

信じていた時期はあったわ、でも判るのよ女の影・・・」

隠しきれていなかった・・・・服部は愕然とする。

「8年か、9年前、私、離婚されるかと思った時があったの。あの人の浮気はいつも本気じゃなかった。だから許していた。見て見ぬ振りも出来た。でもね、たった一度、本気だった時があったのよ。」

馨のことがばれていた・・・・服部は緊張する。

「何処の誰かは判らないけど、とても不安だった。でも問いただしたり、怒ったりしたら、終わるような気がして出来なかった。失いたくなかったから・・・そしたら・・・終わったの、別れたのよ。結局、あの人は誰をも愛してなんかないの。だから、

一番傍にいる私の勝ち。でもね・・最近、光輝が離れて行きそうで怖いの」

女は恐ろしいと服部は、はじめて思った。そんな思いを、今まで隠し通してきたなんて・・・・

「もちろん子供は、いつかひとり立ちするわ。でも・・・それとは違うの。あの時のような不安が付きまとうの。完全に、誰かに

光輝を盗られそうな・・・」

勘付いていた。それとは知らずに・・・馨の存在を・・・

「智香子・・・光輝は、ひとり立ちしていくんだ。お前は鷹瀬とうまくやっていく事を考えろ」

そうとしか言いようが無い。親子ともども、同じ男に嵌っていたなどと言える訳が無い。

それに光洋は、もう浮気などしていないではないか・・・

「そうよね、そうなのよね・・・でも、もう疲れちゃった、あの人を追いかけるの。もっと別の人生あるんじゃないかって・・・」

服部は恐怖を覚えた・・・熟年離婚・・・人事ではない。

「智香子・・・」

「ごめん・・・心配掛けちゃった?離婚なんて、しないから安心して」

静かにゆっくりと破局は来るものなのだろう・・・

「嘘で固めた家庭なんて、壊れるしかないのね・・・」

盲目な愛情もいつかは冷める・・・服部は妹を見くびっていた事を知る。長年被ってきた、疑う事を知らない素直な妻の仮面は

剥がれる・・・

「でも、私今まで我慢してきたのだもの。鷹瀬教授夫人の座は降りないわ、何があっても」

愛情がなくなっても執着する・・・妹のしたたかさに、服部は途方にくれる。

多分、彼女は知っている。知っていて、自分に告白したのだ。自分が光洋の浮気の共犯者だと言う事を・・・・

ただ、ぼんやり思う、自分の家庭は無事なのだろうか・・・と

 

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