未来への翼 1
見舞いを兼ねて、馨は光洋の病室を訪れた。
病院と言うより、広い個室のホテルの一室のような部屋で、光洋は読書をしながら馨を待っていた。
医師と服部に説得されて、決意した馨との再会・・・・
もう、逃げられない。覚悟を決めていた。
「教授・・・」
やつれたその姿に、馨は愕然とする。
自信たっぷりだった光洋が、今はとても儚く見える・・・
これが3年の月日・・・
それぞれに、別々に、苦しんできた日々・・・
「お久しぶりです」
そう言って、テーブルの向かい側の椅子に腰掛ける。
「昔、お前はこうして”はつ恋”を読みながら私を待っていた・・・」
馨の行動を辿りつつ、光洋は馨を懐かしんでいた。
「あの頃が、一番幸せでした。」
馨の言葉に光洋は頷く。
「こんなに苦しいのに、思い出すのは幸せだった時の事ばかりだな」
そして、この思い出が、さらに光洋を苦しめるのだった。
馨は寂しげに微笑む。
死ぬほど辛いのに、それでも幸せだったのだ。切なさと向かい合わせではあったが・・・
「どうして、お前を傷つけてしまったのだろう・・・とても大切だったのに・・・」
ため息と供に、光洋は本を閉じる。
ツルゲーネフの”はつ恋”・・・・その表紙を見て、馨はおかしな因縁を感じる。
一人の少女をめぐる、父親と息子の三角関係・・・まるで、こうなる事が必然だったかのように、事は運んだ。
「私のせいか?妻も息子もいる身で、お前を愛した・・・・」
事の始まりはそうだった。
「そうですね、何が面白くて、男なんかを相手にしたんですか?」
今ならわかる。
馨自信も、光洋が妻帯者である事を知りつつも、拒めなかった事を・・・
「お前は、今まで私が付き合ったどんな女よりも、魅力的だった。」
冷たく笑いつつ、馨は光洋を見上げる。
「それは、教授が遊び人の女性ばかりと付き合っていたからでしょう?」
あとくされの無い関係・・・それが心地よかった。馨との時のように、とことん嵌る事を恐れていたのだろう。
しかし・・・・嵌ってしまった・・・・
「怖かったんだ・・・一人を死ぬほど愛する事が・・・」
にこっ・・・・
馨は、昔の懐かしい天使の笑顔を浮かべた。
「教授は、案外、一途なんですね。」
ああ・・・光洋は微笑む。涙が出るほど、懐かしい・・・・
もう、見ることは出来ないと思っていた、恋しい笑顔だった・・・・
「・・・許して欲しい。許されない事は判っている。でも、許して欲しい・・・」
許したい・・・・恨みながら・・・憎みながら・・・それでも、馨は許したかったのだ・・・
「あの時、死のうとしたのは本心だ。ただ・・・私は光輝を捨てられなかった・・・」
(そう。この人は、父親なのだ・・・)
そんな父性に憧れたのだ・・・
「愛していたよ。お前は、私の初恋だった。」
氷が解けるように、馨の瞳から涙が流れる・・・
この一言を待っていたのだ・・・・決して元に戻れなくても、本心を聞きたかった。
でなければ、自分が惨めだった・・・
「やっと、決着が付けられました。今日限りで、過去の事は過去にしましょう。」
許されたと言う実感が光洋を襲った。
「ありがとう・・・」
「許し、許されて、過去にしてしまわなければ、貴方も、私も未来へ進めない・・・」
そう言って馨は、腕時計を外すと、ゴミ箱に投げ捨てた。
「この傷は、自分が人を死ぬほど愛した勲章。そう思いつつ、生きて行きます。もう恥じる事も、隠す事もありません・・・」
そして、立ち上がる
「お元気で。もう会う事は無いでしょう。」
「馨・・・ありがとう・・・やはり、お前は天使だ・・・」
光洋も立ち上がり、馨の前に歩み寄り、馨の左手をとると、傷にくちづけた。
「もう一度、折れた翼で はばたいて見せますよ。」
どこか、ふっきった笑顔の馨に、光洋は最後の抱擁をして送り出した。
”すまなかった” を ”ありがとう”に変えて・・・・・・
神を愛した罪の烙印を背負ったまま、堕天使はもう一度、青い空を目指す・・・
去って行く馨の後姿に、光洋は天使の翼を見た・・・・
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