罪の値 3
虚ろなまま、光洋は大学の夏期講習のため、大学に出向いた。
服部の勧めで、精神科の治療も再度、受け始めた。
が・・・・夜は悪夢にうなされ、昼は無気力な日々を過ごしている・・・あの夜、心を壊したのは馨だけではなかった。
心ここにあらずな講義が終わり、部屋に戻ると、すぐさま英文科の女子大生が入り込んできた。
浅沼月子。最近の光洋の愛人・・・・だった。
「教授、最近、元気ないわね」
と応接用のソファーに腰掛ける。
ストレートロングの髪をかき上げ濃いメイクの、20歳とは思えない娘が足を高く組む。
ミニスカートから伸びた足は、すらりとして官能的である。見るからに遊び人。使い捨て的な恋人だった・・・
小型冷蔵庫からオレンジジュースのカンを取り出し、光洋はテーブルに置く。
「何?ビールないの?」
「学校だぞ。ここは」
妥協して続ける関係・・・もう飽き飽きしていた。
いや・・・もっと前から・・・
出会った頃、馨は19歳で 勉強だけをしてきたような優等生だった。
女学生にも見向きもせず、男の香りさえしない中性的な馨に、神々しさを見た。
ーコイツは女を知らないー
一目でそう感じた。
そればかりか、裏切り、欺瞞、嫉妬、妬み・・・そんな醜いものから無縁で、汚れのない天使に見えた。
光洋は自分の魅力を知っている。相手をその気にさせることなど、朝飯前なのだ・・・
馨は思惑通りに、光洋に憧れ始めた。
ー貴方は私の神ですー
天使に、そう宣言された時の悦びは、今も忘れられない。
駆け引きなど無い、総てを捧げられた感動は、決して消えることが無い。
(そう・・こんなあばずれの妖艶さなど、足元にも及ばない・・・)
自らの腕の中で、あの夜、流した馨の一筋の涙の美しさ、恥じらいながらも、開花する大輪の薔薇の甘美な輝き・・・
今まで、こんなにも、清くも妖艶なものに触れた事などなかった。そしてこれからも・・もう二度とは無いだろう・・・
(それを俺は、踏みにじった)
もう戻れない。
翼を切り落とされた天使は、魔性を身につけ、闇に落ちた。もう、あの頃の天使はいない・・・
(俺が天使を殺した)
「教授!?」
月子の声に我に帰る
「最近、本当に変よ・・・連絡もくれないし・・ボーっとしちゃって」
馨を忘れる為に、何人かと、付き合っては別れを繰り返した。
が・・・心は満たされない。ただ彼女らと馨を比べては、罪の重さを知るだけだった。
「私が元気にしてあげる」
そう言って光洋の隣に腰掛けてくる・・・こういう下品さが、光洋を萎えさせる。
馨は、決して、そんな事は言わなかった。
馨を知った後では、どの女もガラスのように見える。馨こそが本物の金剛石だった・・・
なのに・・なのに・・
(俺がバカだった・・・)
「もう終わりにしないか」
疲れたのだ・・・
「そう。教授も、もう歳だし、若い娘相手はキツイかもね・・・さよなら」
真っ赤な・・・血のように真っ赤なルージュの唇がそう告げる。
何の衝撃も受けない自分に、笑いがこみ上げる。
未練の欠片も無く出てゆく月子を、一瞥もすることなく、光洋は馨の幻に溺れる。
ーもう終わりにしないかー
馨にもそう言った・・・
ーどうしてですか?理由を教えてください。−
ー初めから、お前とは駄目だろう・・−
妻子ある男との恋愛など、成就するはずが無い。それさえ知らなかった馨。
ただ、光洋の”愛している”その言葉だけを信じた。そして愛は永遠なのだと疑わなかった。
初恋は実らないのさ・・・・
花はいつか散るものさ・・・
それに気付かなかった天使。
(もしも、お前の初恋の相手が清純な女学生だったなら、愛が終わったとしても、これほどの痛みは無かっただろう・・・・)
薄利多売な大学教授を愛したのが馨の不幸だった。男の身で、男に総てを捧げたのが、馨の過ちだった。
そして・・・
神の衣を着て、天使をたぶらかした魔王ー それが鷹瀬光洋なのだ。
彼は、もう何処にもいない天使を、まだ愛している。
(あの時、お前と死んでいたなら・・俺は神のままでいられたのか?)
悔やんでも悔やみきれない。死にぞこなった自分の惨めさ・・・
死を恐れて、逃げた卑怯者の汚名を着て、さらに計画殺人者の疑いさえかけられたこの身。
それでも生きながらえている。
(馨、お前は俺が今、笑って暮らしているとでも思うのか・・・いや、俺がどう暮らしても、お前が傷ついて、心を壊した事に変わりは無い)
しかし・・・
愛していた。
今も愛している。
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