傷月 5
鷹瀬家を訪ねた服部は、光洋の書斎に入る。
最近、光洋が帰宅後、書斎にこもりっきりだという智香子の電話を受けやって来た。
「鷹瀬、もう一度、治療を受けろ。明日一緒に・・」
「服部、お前、会ったんだろう?」
デスクに前に座った光洋は、振り向きもせずに、そう言った。虚ろな声だった。
「話してきた」
馨に会って話をするという光洋を説得して、服部は自ら、職員名簿を見て、馨のマンションを探し当てたのだ。
「どうだった?」
言えない・・・別人のように変わり果てた馨の事を話すことは、光洋の病状を悪化させる。
「馨は・・・すっかり変わってたろう。」
知っているのか?服部は顔を上げる。
「電話で話した。あんなふうに俺がしたんだ・・・」
光洋があの後、死ぬほど苦しんだ事を、馨は知らない。
光洋は服部にも、この事は口止めしていた。自ら起こした罪に言い訳など出来ないと・・・
彼なりの責任のとり方だったのかも知れない。
追い詰められて、精神を病み、精神科の治療を受けた。
そこで、事件の記憶を消した。完全には消えないが、顕在意識から佐伯馨を追い出した。
服部は、光洋に馨を会わせないよう最大限の努力をした。会えば元の木阿弥、記憶は戻る。
幸い学科は違う、校舎は離れている。馨自身、もう光洋の顔を見たくも無いという状態だった・・・
そのまま、二人は会わないまま、馨は卒業して行った。
「お前は関わるな。俺が処理する。」
服部の言葉に、光洋は顔をゆがめる。この義兄に、いつも尻拭いをさせている自分に嫌気がさす。
服部の愛弟子に手を出し、傷つけた自分を、彼は最大限に庇った。
智香子・・・・妹の為に・・・
家庭を壊してはいけない、妹を傷つけてはいけない。そのために、一番なりたくない卑怯者に、自ら落ちた。
服部に対する罪悪感は計り知れない。
「問題は光輝だ。」
今の光輝は、あの頃の光洋と同じ目をしている。
「馨を諦めさせないと。・・・全くどうして、お前達親子は揃いも揃って、佐伯にイカれるんだ?」
堅実で浮気などしたこともない服部には、理解しがたかった。
「これは罰だ」
因縁、因果応報・・・そんな言葉が似合いすぎる。
「人の息子をボロボロにしておいて、自分の息子は無傷なんて、都合のいい話は無いのさ」
光洋は椅子を回転させて、ソファーに腰掛けている服部を振り返る。
光洋・・・・・
馨は誤解している と服部は思う。光洋は少なくとも、馨に対しては本気だった・・・
「信じるか?馨が俺の初恋だったなんて・・・」
信じろという方が無理だ。光洋ほど恋多き男はいない。実際、女にモテた。
友達としては、信頼できるいい奴だったが、女癖に関しては、服部は呆れていた。
そんな光洋と、妹が結婚すると言った時、どれだけ反対したか判らない。
それでも妹に泣き付かれて、仕方なく承知した。浮気はするなと釘をさして・・・・
しかし、光洋の女癖は治らなかった。
女子大生とのアバンチュールは、ある程度目を瞑った。
本気で無いことが判っていたから。実際、長続きしなかった。
そうか・・思い当たる。
馨とは、本気だと感じだ事を・・・・
そう・・・心中未遂まで犯すほどに・・・
「それは、聞き捨てならんな。智香子はなんだ?」
冗談めかして服部は訊く。
「馨に会うまで、俺は本当に人を愛すると言う事を知らなかった。あいつが俺に真実の愛を教えた」
「そのお返しが、これか?」
あんまりではないか・・・・
「お前には、俺がさぞかし、いい加減な男に見えるだろうな」
理解不可能なほど、いい加減だ。しかし、服部は光洋を憎めない。
「今も、馨を愛している」
その言葉は、途方も無い衝撃を服部に与えた。
「恋愛は俺にとって、駆け引きだった。この女をどうやって落とすか・・・それしかなかった。女の方もそうだ。馨は違った。無条件に
俺を愛してくれたのは、あいつだけだったんだ。あいつといると安らげた。」
(じゃあ・・・智香子は?お前の妻は?)
服部はうすうす感づいてはいた。光洋は、智香子を愛してはいない。
穏やかで、自分に合わせてくれる、都合のいい女。浮気がばれても、謝れば許してくれる安全パイ。
彼にとって智香子はそんな存在だった。
智香子は、そんな事にも気づかず一生、光洋を愛し続け、愛されているという錯覚の中で生きて行くのだ。
光洋は世界一残酷で、世界一哀れな男だと、服部は思う。
子供が新しいおもちゃを欲しがるように、次々と恋愛を繰り返し、一番望むものを見つけたのに、それは手に入らなかった。
多分・・・服部は思う。
馨も、光洋をまだ愛していると・・・忘れられず、憎み続けるのは愛情の裏返し。
壊れて粉々のガラスの破片を、光輝も馨も持ち続けている・・・
もう元通りにはならないと判っているのに・・・・
それでも捨てきれず・・・・
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