片翼 4
あれからは、何事もなく日は過ぎてゆく。
相変わらず、光輝は馨を盗み見ているようだが・・・
(焦る事は無い、放っておけば、獲物は向こうからやってくる・・・)
「先生」
福田の声で我にかえる。
昼食時間、職員室では皆 弁当箱を机に広げていた。
「すみません、考え事を・・・」
と、馨も弁当箱を取り出す。
「いきなり大変でしょう?」
逞しい父親のような笑顔に、馨は戸惑う。素朴で温かく、善良な福田の前では、自分自身がとても汚れて見える。
「いいえ、皆 優秀で驚きました。さすがは桜華ですね」
自らの穢れを気付かれはしまいか・・・不安になる。
「特に・・・鷹瀬光輝・・・」
「ああ、優等生じゃないけど、可愛い奴ですよ」
はははは・・・・と笑いつつ、湯のみの茶を飲む福田。
「それより、先生お一人でしょう、毎日、自炊ですか?弁当も御自分で?」
福田は馨の弁当を覗き込む。男が作ったとは思えない見事なものだった。
「大学生の時に田舎から出て来て、ずっと自炊ですから・・・慣れましたよ」
福田との会話で、馨の中の毒気が消えて行く気がした。とても安心できる。
昔、神のように仰ぎ尊敬していた光洋には無い安堵だ。父のように慕っていた頃は、しかし 安らげた。
それで終われば、何も問題はなかった・・・のに・・・
(あの人が総て壊した・・・・)
今思えば、自分に近づいてくる彼に、そんな思惑が無いはずはなかった。
福田とは明らかに違う何処か、狙うような目をしていた。
世間知らずな馨には、気付かなかった。愛と恋と欲望、それを見分ける能力もなかった。
あんな醜い感情が、存在するとも思っていなかった・・・・
「早くいい人、見つかるといいですね・・・」
気さくに笑う福田の笑顔が、眩しすぎる。
もう、純粋な愛など信じられなくなった馨には、それは、残酷な棘でしかなかった。
「あれ?先生、左利きですか?」
左手で箸を持つ馨を見て、福田は驚く。
「左腕に腕時計してるから、右利きとばかり思っていました。」
「両利きですよ」
氷の笑みを浮かべて、馨は答える。
元は左利きだった。しかし左手首の傷の為に、右も使えるようになった。
馨の生活の一つ一つに、鷹瀬光洋は付きまとう。今もなお・・・・
(あの人は、俺のことなど忘れて、笑いながら日々暮らしているのだろう・・・)
傷ついたのは馨だけ・・・
光洋は、心身ともに傷一つ負う事はなかった・・・・
彼は、事件を上手くもみ消す術も心得ていたのだから。
「元は左利きでしたが、右に直したんです。でもやはり左が使いやすいですね・・」
「器用なんですね」
何気ない話でも、総て受け止めてくれる福田が、ありがたかった。
涙が出るほどに、18歳の頃に戻り、やり直したかった・・・福田のような恩師に、先に出会っていれば・・・
どうしょうもない思いに駆られた。
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