片翼 1
次の日、生徒手帳が机の中に入っているのを見つけた光輝と平山は、胸をなでおろした。
「危なかった」
「それ、そこだけ破って、お前の部屋に隠しとけ」
平山の言葉に光輝は頷く。
「こういうことは、慎重にやらねえとな」
何時になく真剣な光輝を見て、平山は不安を感じる。
「無理するな」
教師相手の大博打、かなり危険ではないかと、今更ながらに思う。
「あいつのすました仮面、剥ぎ取ってやるよ」
何でも思い通りにしてきた光輝が、唯一 思い通りにならない人物・・・佐伯馨。
自らの足元に膝まづかせなければ、気がすまなかった。
放課後、日直の井上が学級日誌を持って、廊下を歩いているのを見かけて、光輝は声をかけた。
「井上。俺、職員室に用があるんだけど、それ持っていってやるよ」
明るい屈託のない笑顔を向けられ、井上も何の疑いも無く、学級日誌を渡す。
「じゃあ頼んだよ」
「ああ」
井上を見送り、光輝は廊下を歩き出す。
担任の福田の席の隣に、佐伯の机がある・・・とにかく偶然を装い、目に留まること。これが第一作戦だった。
職員室のドアを開け光輝は一礼して入る。
「学級日誌、持ってきました」
福田は光輝から学級日誌を受け取りつつ、首をかしげる。
「お前、今日の日直じゃないだろ?」
「井上の代わりに持ってきたんです」
屈託のない笑顔に、誰もが魅了される。
ちらと隣を見るが、佐伯の姿は見えない。
「鷹瀬、時間あるか?」
担任の言葉に光輝は振り返る。
ーコピー室で、佐伯先生が授業に使う資料をコピーしてるんで、綴じるのを手伝ってくれんか?−
担任の言葉を思い出し、光輝は微笑む。
(佐伯に近付くチャンス・・)
総ては自分の勝利の為に、事が運んでいるように思えた。
そっとコピー室のドアを開けると、光輝は馨の姿を盗み見る。
伏目がちの憂いのある顔は、自分には無い深い闇を思わせた。
(彼は笑わない)
もし、彼の冷めた表情から微笑みが現れたなら、勝負はあると光輝は思う。
「どうした?」
気配に気付き、馨は光輝の方を振り向いた。
「福田先生に言われて、手伝いに来ました」
「ああ、じゃあ、そのテーブルの上の資料をページ順に1枚づつ重ねて、ホッチキスで止めてくれ」
光輝は言われるままに、作業に移る。
「ねえ、先生」
しばらく黙って作業していた光輝は、沈黙に耐えかねて口を開く。
「本物の恋って、あると思いますか?」
「ある。しかし、相手にとっても本物かどうかは判らない。互いが互いを本気で愛せるかどうかは別問題だ。特にお前のような人間もいるからな」
無表情な冷たい声・・・氷のようだった。
「何か、俺のこと誤解してないっすか?」
馨はコピーを総て終えて、最後の資料を光輝の前に置く。
「してない。俺はお前を、きわめて正確に見ている」
「ひどいなあ・・・」
それには答えず、馨は光輝の向かい側に座り、ホッチキスをとり、作業を始める。
「先生はあるんですか?命がけで人を愛した事・・・」
「ある。そして裏切られた」
彼の闇はそれなのか・・・・光輝は言葉をなくす。
「俺には運命でも、相手にとってはただの気まぐれ。そんな事は、この世界に掃いて捨てるほどあるだろう」
静かな静かな・・・冷たい声で馨はこう語る。
「俺は裏切られても、傷つけられても、真実の恋がしたいよ。一生その人の事が忘れられないような・・・」
「それは地獄の苦しみだ」
実感のこもった言葉に、光輝はため息を付く。
「だけど、こんな薄っぺらい恋愛ゲームは、本当は飽き飽きなんだ。虚しい・・・」
馨は俯いたまま顔を引きつらせる。
(何を言っているんだ。お前は賭けで俺に近づいたんだろう・・・)
最後の1部をホッチキスで止めて、光輝は資料の束を馨に渡す。
「ありがとう、助かったよ」
受け取った資料を手に、馨は立ち上がった。
「お前も早く帰れ」
背を向け部屋を出ようとする馨を、光輝は後ろからそっと抱擁した。
「先生、教えてくれないか?一生に一度の本物の恋を」
馨の胸に憎悪が湧き上がる。
「何で、俺なんだ?」
「一目見て、先生の事・・・」
吐き気がした。賭けの事を知らなければ騙されてしまいそうな。見事な演技だった。
「男の癖に男が好きなのか?」
冷たい声で馨は、はねつける。
「男も女も関係ねぇくらい、先生の事が好きなんだ」
純情一途な高校生を演じる光輝を、心で馨は嘲笑う。
「離せ。もう俺には近寄るな」
光輝の腕を振り払い、馨は部屋を出てゆく。
そして、廊下を歩きつつほくそえむ。
(手こずれ・・・・俺を追えば追うほど、お前は俺の罠に落ちてゆくのだ・・・が、 容易く落ちてはやらん。これはゲームなんだよ・・・)
思惑が交差する中で 偽りのゲームが幕を開けた。
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