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誰もいない刑事課の事務室で、俊介は今日の報告書を書き終えて一息つく。交代制の夜勤が時々回ってきて、慎吾と離れ離れの夜も慣れてきた頃だった。
(職場がいつまでも同じではいられないんだから、こういうのにも慣れないとなあ・・・)
慎吾が警視庁に移動になるのが早いか、自分の昇進で移動になるのが早いか・・・いずれにしろ、いつまでもこのままではないだろう。
(居心地が良すぎるんだなあ〜今が。これに慣れたらどうしょうもないなあ)
そろそろ7時、夕食のカップラーメンのお湯を沸かすために席をたった時、事務所のドアが開いて、慎吾が入ってきた。
「差し入れに来たぞー。どうせカップラーメンですまそうと思っているんだろ?」
「宿直の夕食はカップラーメンと決まってるんですよ。というか、いいんですか?署長直々のお出ましなんて?」
ポットで、お茶を入れるためのお湯を沸かしながら、慎吾を応接室に招く。
2人で食事をするなら、デスクよりも応接室の大きいテーブルがいい。さらに戸がすりガラスになっていて、急に誰かが来ても対処しやすい。
「まったく、出前とかとってカツ丼でも食えよ?お前ら貧乏人だなあ。夕食手当でも出してやろうか?」
と、手に持っていたスーパーの袋をテーブルに置く。
「警察でカツ丼なんて食べる気しませんよ。取り調べの犯人みたいじゃないですか?」
「え?警察といえばカツ丼だろ?」
やめてください・・・苦笑しつつ、俊介は急須で湯呑にお茶を注ぐ。
それほどにカツ丼にこだわる慎吾の差し入れは・・・と見ると、近くのスーパーに置かれている寿司のオンパレードだった。
「あ、カツ丼じゃないんですね?」
「俊ちゃんにカツ丼食わせるわけにはいかないだろう?いつもメシ作ってもらっているお礼に奮発したんだぞ?酒が飲めないのは辛いけどな」
それはそれは・・・頷きつつ、俊介は慎吾に箸を渡す。
「宿直なのに慎吾さんに会えるなんて、得した気分ですよ」
笑顔で湯呑を持ち上げて、お茶をひとくち・・・
「ひとりでいるとさみしいじゃないか?で、考えたんだけどな、お前の宿直に合わせて、俺も宿直するとか・・・」
そんな事ができるのも、あと少し。わかっているが故の我が儘なのだろう。そう思うと、少し寂しい気持ちが湧き上がってくる。
「俺も泊まっていいか?」
え?!夕食を食べたら帰るのだとばかり思っていたのに、泊まっていくという慎吾の言葉に、俊介は耳を疑う。
(それって・・・どういう事なんだろう・・・)
答えに困りつつ、黙々と寿司を食べ続ける俊介に、慎吾は核爆弾を落とす。
「いつ人事になるかわからないんだし、もう、職場が同じなんて奇跡は起こらないだろうし、ここで思い出を作るのもいいかなと思うんだ」
「何の思い出ですか?」
「職場恋愛・・・オフィスラブ」
ますます意味不明な俊介は、聞かなかった事にしてお茶を飲む。
オンとオフはちゃんと区別しているはずの慎吾がまさか、職場でいちゃつこうなんて提案を出すわけがないのだ。
「昼間は人がいるけど、今はいないし〜」
自分の目の前にいるのは、本当に三浦慎吾なのだろうか・・・俊介は目を疑う。
「あ、ひいた?ひいてる?」
ひきますよ・・・当然。そう言ってしまえない惚れた弱み。
「もしかして、まだ見えない人事異動のプレッシャーで気持ち不安定とかですか?」
自分もそうだから、慎吾もそうなのだろうか。俊介はそう気づいた。
慎吾はいつも落ち着いて堂々としていて、何事にも動じない。だから移動になって動揺するのは自分だけかと思っていた。
「そうかもしれない。こんなに自分が誰かに依存するとは思わなかった。信じたくないけど、多分そうだ。お前と離れるのが怖いんだ」
「出逢った事、後悔はしてないんですよね?はい、あーん」
そう言いつつ、向かいに座っている慎吾に寿司を差し出す。
うん・・・頷きつつ、俊介の差し出す寿司を食べ、ヘタレになってしまった自分に落ち込む慎吾。
「じゃ、いいですよ。かなーり大冒険だけど、僕も少し焦ってたから同点です。宿直室のベッドは狭いですけど、なんとかなるでしょう」
「署長室は?」
「ベッドはないでしょう?」
「ソファーがある・・・2つくっつければ・・・」
宿直室より確実に人は来ないだろう。部屋の主が中にいるのだから・・・
「でも、そこに泊まるのは無理ですよ?朝、誰かに見つかったら・・・」
仕方ない、明け方に宿直室に移動するしかなさそうだ。
「修学旅行みたいで楽しいだろ?」
確かに、悪巧みして、こそこそしている不良学生のようでもある。
「本当にそう思ってます?署長室で逢引きなんて、社長と秘書の不倫プレイとか想像してません?」
「それいいかも?警視総監と副総監プレイで行こうか?」
もう・・・呆れ笑いの俊介は、紙皿を片付けたあと、慎吾の背後に周り、そっと抱きしめる。
「大丈夫ですよ、配置替えがあっても、何も変わりませんから。それに逢いたい、寂しいって思うくらいがいいんです。いつも一緒だと飽きるかもしれないでしょ?」
飽きないけど・・・そんな自信がある慎吾は、俊介を振り返る。
「俺ってこんなにヘタレてたんだ」
「僕の前ではヘタレていいんですよ。いつも突っ張って張り詰めてると、いつか切れてしまいますから。慎吾さんが自然体でいられる事が大事です。嫌いませんからじゃんじゃんヘタレてください」
いざという時、急に頼りになるこの後輩は、少しオカンっぽかったりした。
「あ、いっそ署長のテーブルの上でもいいぞ?」
慰めるとすぐ調子に乗るのが珠に傷のこのエリートに、俊介は苦笑しつつ、自分のデスクの整理を始めた。
慎吾は着替えをいれたスーツケースを手にドアに向かう。
「先に行ってるから、早めに来いよ?」
本気なんですね・・・苦笑しつつ、俊介は事務室を出て行く慎吾を振り返る。それでも拒む気はしない。惚れた弱みというものなのだろう。
ただ、バレずに完全犯罪を成就させる事だけに意識を向けることにした。
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