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病室で一晩過ごし、翌日は午後まで俊介は検査のため、あちらこちらを移動しながら、ようやく病室に戻ってきた。

「稲葉さん、お疲れ様。検査結果に異常なければ、明日には退院できますよ」

そう言って看護婦は部屋を出て行った。

(退院か・・・)

早く、慎吾のところに帰りたい気持ちが溢れている。

(いつも一緒で、突然別々はきついなあ)

ため息をついているとノックの音がし、ドアが開いて眼鏡の男が入ってきた。

「お邪魔します」

愛想のいい優男だ。

「あ・・・」

いつか見たことがある・・・都庁の研修で・・・八神達彦・・・慎吾のかつての想い人。

「八神警視、わざわざこんなところに何か・・・」

彼は唯の警視ではない。警視総監を父に、警視正を兄に、少年課課長を母に持つエリート・・・

「八神警視だなんて、他人行儀な〜達彦さんでいいですよ」

と言いつつ、ベッドの横の椅子に腰掛けた彼は、持ってきたエスプレッソのカップを差し出す。

「差し入れです。コーヒー専門店で買って来ました。あと、もしお昼まだでしたら一緒にどうですか」

 と、これもまた来る途中に買ってきた卵ハムトーストを差し出す。

「いいんですか・・・僕としては、検査であちこち周って実はお腹すいてて、ありがたいんですが」

「ウチの署の用でここに来たんですが、検視官さんお留守で書類だけ貰ってきました。お陰で差し入れが無駄になっちゃって

だから、二人分食べてください」

「二人分・・・」

「ああ、俊介君のところにはお見舞いに伺う予定でしたから、俊介君の分と検視官さんの分です」

わざわざ来てくれる理由が判らないまま、俊介は曖昧に笑う。

思えば、慎吾を間に挟んで複雑な関係だ。慎吾を振った男と、慎吾の現在の恋人・・・

しかも、達彦と慎吾は幼馴染で、今も時々会って話をする仲・・・

勿論、もう嫉妬の思いは無い。達彦には関西鬼頭組の跡取り息子、鬼頭優希という最愛がいるのだから。

「コーヒーも余っちゃってるしね。聞きましたよ、ウチのお父さんから。昨日、父もここに来ていて、一目俊介君に会いたかった

そうなんですが、なんせ記者連中が離してくれなくて、病室にお邪魔できなかったって・・・」

「あ、警視総監殿ののお怪我はいかがですか・・・」

はははは・・・優しく笑う達彦に、俊介は見惚れた。こんな仕草一つ一つがとても美しい。

いつも傍にいた慎吾が魅かれても不思議ではない。

「俊介君に比べりゃ、大したこと無いですよ。縫うほどの傷でもなかったし、料理してても、あれくらいの怪我はするんじゃないかな」

それにしても、やはり息子としては心配しただろうと思う。

 「あ、なんか、警戒してます?こいつ何しに来たんだろうって?」

卵ハムトーストを差し出しつつ、達彦は笑顔で訊く。まあ、関係が微妙なのは仕方の無いことではあるが。

「誤解とかしてないですよね?慎吾君との事。何でもないですから、ただの幼馴染ですよ」

それは・・・卵ハムトーストを手に、俊介は固まった。そんな彼を見て、達彦はしくじった事を知る・・・

「もしかして・・・慎吾くん、話した?」

「全部聞きました。僕には隠し事しない事になっていますから。でも八神警視には何の感情もありませんよ。

慎吾さんは、今は僕だけだって信じてるし」

謙虚な態度だが、どこか堂々としている俊介に、達彦は器の大きさを見る。そして、慎吾との信頼関係は無敵と思われた。

確かに、慎吾は変わった。魂の片割れを得た安心感、自信、落ち着き・・・色々なものを手に入れたようだ。

これも全て俊介のお陰なのだろう。

 「全部話しましたか・・・」

「叩くと埃の出る人ですよ?多分、八神警視の知らない事まで僕、知ってると思います」

頼もしい、としか言いようが無かった。全部晒した仲なのだ・・・

「でも、何で来たか気になります?」

そうですね・・・苦笑しながら達彦の問いに頷くと、俊介は受け取ったトーストを食べ始めた。

「特に理由はありません。父の代わりに会いに来たのかな・・・期待されてますよ?未来の副総監・・・」

「プレッシャーかけないでくださいよ、でなくても、手柄焦ってこのザマなんですから」

そんな俊介が、達彦はどこか羨ましかった。目標を持って仕事に取り組むのは、やりがいがあっていいだろう。

出世願望は、もとから無く、与えられた任務をただ、こなすだけの自分は果たして、これから鬼頭を継ごうと頑張っている優希に

ふさわしいのかと疑問を抱いていた。

 「本当は、少し羨ましいんです。同じ方向を見て進んでいける仲が・・・」

そう言いつつ、遠くを見つめる達彦に、俊介は返す言葉が無い。警察官とやくざの一人息子・・・

まるでロミオとジュリエットではないか・・・

「実は、遠距離恋愛になりそうなんですよねえ・・・私達。覚悟はしてるんですけど」

「判ります。誰かに聞いて欲しい事ありますよね。でもそれが僕なんですか」

慎吾ではなく・・・と言うところが不思議だった。

「なんかね・・・慎吾君に言うと優越感に浸られそうだから言えなくって・・・」

「僕ならいいんですか・・・」

・・・・・・笑顔で沈黙する達彦に、俊介は苦笑する。

「俊介君は、威張ったり自慢する人じゃないから・・・同情してくれるかと・・・」

「判りますよ、一晩別々でも辛いのに遠距離なんて、とんでもないですよね。それを乗り越えていこうとされてるんだから

凄いですね・・・でも、慎吾さんだって、八神さんの事、他人事にはしないと思います。言っても大丈夫ですよ」

そうかもしれない・・・達彦は頷きながら俊介を見つめる。

眼鏡のおぼこい秀才タイプのこの男のどこに、慎吾を支え、変えてゆく力があるのだろう・・・

やはり、純真さが彼の武器なのだろうか・・・

聞く限りでは、慎吾が俊介を手なずけたと言うよりは、俊介が慎吾を手なづけたと言う感じであるが

確かに、慎吾の将来の補佐役としては適役ではある。

「俊介君と話すと元気が出ます。ありがとう、また話聞いてくださいね」

 なんとなく、慎吾が彼に片思いした理由も、彼と慎吾がカップルになれなかった理由も、俊介には判る気がした。

それは、慎吾が達彦にふさわしくないとか、そんな理由ではなく、お互い弱音を吐いたり弱点を晒せる仲では無い事。

ライバル意識・・・ではないが、お互いがお互いに対して、”男”である事から来るもの・・・

いつの間にか、達彦の影に悩まなくはなっていたが、俊介はまた一つ、八神達彦に対するこだわりを脱ぎ捨てた気がした。

 

 

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