32
「稲葉、辞令だ」
署長室に呼ばれた俊介は、慎吾に辞令を渡された。
「警部昇進おめでとう」
「ありがとうございます」
2人っきりの署長室で、他人行儀な挨拶を交わす。
「慣れるまでは、しばらく田山課長のもとで、現場実習しろとのお達しだから、頑張れ」
おそらく、三浦進副総監の助言で、八神警視総監が指示したのだろう。
二人とも”稲葉俊一の息子”には甘い。慎吾は内心ほっとするが、田山の俊介いじりに気を揉む日々が続く事に、ため息が出る。
キャリアになりたかったわけじゃない・・・地元の警察官でいたい・・・そう悩んでいた俊介は今では、慎吾を追い始めた。
内外共に慎吾を支えて行くために、将来、慎吾の役に立つ右腕になるために。
多くの人のために警察官をしていたかった彼が、今は三浦慎吾という最愛の人、一人のために、今の位置にいる矛盾は
どうしょうもないが総ての職業は社会に貢献しているのだと、言い訳して納得する。
「それでは、現場に戻ります」
一礼して、俊介は部屋を出た。
(とにかく、与えられた環境で一生懸命頑張らなくては・・・)
辞令を握り締めて俊介は廊下を歩く。
しかし・・・・警視総監、副総監にコネがあるなどと、周りに知れたら大変だろう。
まさか、目に余る贔屓など、あるはずは無いが、にしても三浦進の過保護は知られるべきではない。
といっても、自分はまだ他人。慎吾は実の息子なのだ、隠しようも無いし、実力も、七光りと評価を下げられる立場にある。
(慎吾さんて、大変だったんだな・・・)
改めて慎吾の苦労を思う。
しっかりしていないといけない、堂々としていなければいけない、周りを敵に回す事は避けなければいけない。
人に合わせて、相手に好印象を与える・・・・・
達彦が姑息だと感じた、慎吾のその世渡りは、自分を守るためだった。それが生きる術だった。
人も羨む超エリート2世は、世知辛い人生を歩んでいる。父、進もその事を知っていて、職場では慎吾に厳しい。
(帰ったら、肩でも揉んであげよう・・)
急に慰労してあげたい気分になる・・・・
しかし俊介自身、上司の攻撃を免れない。田山と同級の警部になってしまった・・・
(また、何か言ってくるなあ・・・)
もともと八つ当たりされやすい俊介は、覚悟を決める。
(慎吾さんのためなら、たとえ火の中、水の中・・・これくらい何でもない・・・)
と決意して、刑事課のドアを開けるや否や・・・・
「俊ちゃ〜〜〜ん、警部だって?おめでと〜〜〜〜」
田山の攻撃がやってきた・・・・
「で、今日は散々、課長にイヤミ言われたろ?」
食後のコーヒーを受け取りつつ、慎吾は笑う。
「それくらい、なんでもないですよ。」
自分のコーヒーを持って、俊介はソファーの、慎吾の隣に座る。
「まあな・・・達彦も散々だったぞ。あいつも不器用だから・・・」
「八神警視も・・・ですか?」
警視総監を父に持つ達彦が、自分と同じ位苦労しているとは・・・
「あいつはクソ真面目で、融通が利かないから大変だ。傍で見ていてハラハラするぞ?」
やっと、達彦の事を何の感情の介入も無く話せるようになった。片思いして、振られたのは遠い昔の事・・・
「あいつは、出世とか興味ないしなあ・・・それより、やくざの跡取りと恋仲っていう凄い状況だし・・・」
はあ・・・俊介はため息をつく。他人事ではない・・・
やくざではないが、自分達も反社会的な関係と言えなくも無い。
「まあ、ある程度昇進すれば、周りは皆、キャリアだから、ねたむ奴なんかいないって・・・」
「慎吾さんも大変ですよね・・・その若さで署長だから・・・」
「もう、ある意味、ずうずうしくないと生きて行けないからな。何にしても、まだ同伴出勤できるし、よかったな」
「はい」
しかし、この状態に慣れると、後が怖いとも感じる俊介・・・
「あ・・・三田署、無事に解放されたみたいだな・・・」
リモコンを手に、テレビのチャンネルを替えていた慎吾がふと呟く。
「ニュースですか・・・え、ここ、八神警視が副署長されてる?!」
うん・・・・心配で時々、八神家に電話していたが、何とか一件落着したらしい。
「N国の皇太子の亡命が目的だったらしくて・・・まあ、上手くいったみたいだな・・・」
「心配でした?」
俊介に覗き込まれて、慎吾は苦笑する。
「知り合い並には、心配したな・・・でも達彦は、ああいう状況をひょうひょうと乗り越える能力があるから・・・才能とでも言うのかな?」
ふう・・・ん・・頷く俊介を慎吾は肘でつつく。
「おい、誤解するな。もし、これがおまえんとこの事件なら、俺はパニックおこしてるぞ?」
「というか・・・もし、僕の職場が襲撃を受ければ、慎吾さんも同じ状況でしょう?」
ああ・・・そうだった・・しかも署長の自分が一番、責任ありで危険だったりする。
「とにかく、達彦に対する特別な感情は無いけど、八神家とは家族ぐるみのつきあいだから。そこんとこ理解しろよ?」
「判ってますよ」
カラのカップを受け取り、俊介は台所に向かう。
「八神警視だって、恋人いるのに、慎吾さん相手にするわけ無いじゃないですか・・・」
ガチャガチャとカップを洗いつつ、俊介は笑う。
「それ・・・フラれたって言いたい訳ね・・・」
「まあ、そうです」
手を拭きながら、にっこりと微笑んで振り返る俊介の笑顔に、怒る気も失せる慎吾・・・
「まあ、いいか・・・風呂行ってくる」
と立ち上がる慎吾に、俊介はバスタオルを手渡す。
「ええ、沸いてますよ〜」
少しは慎吾に近付けた・・・それが嬉しくてたまらない。
いつまでも頼りっきりの自分ではなく、慎吾を支えてゆける自分になりたい。
「がんばろう」
そっと独り言をつぶやく。達彦にも負けたくない。いろんな意味で・・・
慎吾の気持ちを、疑ってはいないけれど、かといってライバル意識は抜け切らない。
物分りがいいような振りをして、結構、嫉妬深いかも知れない自分を感じつつ、俊介は窓辺に立ち、カーテンをひく。
ーおーい俊介〜シャンプーきれてる〜ー
浴室からの慎吾の声に、脱衣室に向かう。
「買い置きは・・・」
棚から、セールの時にまとめて買ったシャンプーをとりだす。
「ボティシャンプーは、まだありますよね?」
そう訊きつつシャンプー片手に俊介は浴室の戸を開ける。
「うん・・・」
「こういう時、同居人はありがたいでしょ?」
シャンプーを置いて、ズボンの裾をまくり、腕もまくる。
「おい?」
「今日は特別、シャンプーしてあげますよ」
「ええ〜いいよ・・・」
頭を、誰かに洗われるのは小学生の時以来だった。慎吾は慣れない状況に戸惑う。
「どうしてですか?いつもは一緒にお風呂入りたがるのに?」
ポンプを押してシャンプーを手に取ると、慎吾のすでに濡れている髪になじませる。
「だから、洗ってやるって言ってんだ・・・洗ってくれとは言ってないし。それに、これは一緒に入ってるんじゃないだろ?」
文句を言いながら、されるがままな慎吾・・・・・
「サービスです〜」
何いきなり・・・・いつもと違う俊介のテンションについていけない。
「こういうサービスじゃなくて、別のサービスしろよ・・・ベッドで・・・」
「じゃ、背中も流してあげます〜あ、もう全身洗ってあげましょうか?」
もう・・・全然聞いてないし・・・慎吾は半泣きになる。
ヒトコト感想フォーム |
ご感想をひとことどうぞ。作者にメールで送られます。 |