10
3月に入るとだんだん慎吾は引継ぎに借り出され、俊介と一緒にいる時間を失くした。
しかし、俊介とは相変わらず、出退勤を共にし、夕食を共にして今までと変らない距離を保っていた。
(案ずるよりうむがやすしか?)
そう、何も変らない。外的な事情で変るものではないのだ。
しかし、日に日に不安になるのは何故だろう・・・
そんな4月初旬、都庁の研修に俊介と共に参加した。
2泊3日・・・この間は一緒にいる事が出来る。それだけでも嬉しい。
「達彦・・」
研修の昼食時間、食堂に向かう廊下で、慎吾は達彦の姿を見つけた。
「慎吾君、お久しぶり。慎吾君も来てたんですか?」
「髪、切ったんだな」
「ええ、囮捜査とかもう辞めました。かなり危ない目にあっちゃって・・・コリゴリですよ〜」
相変わらずへらへら笑う達彦の、いつもと違う雰囲気を感じ取り、慎吾は戸惑う。
「三浦先輩、どなたですか?」
慎吾の隣にいた俊介は、二人の会話に、ただの知り合いではない何かを感じて不安になる。
「ああ、あの有名な八神一族の末っ子。俺の幼馴染み。」
と言う事は・・・この人が先輩の・・・そこまで考えて俊介ははっとする
「あ、申し訳ございません!稲葉俊介と申します。まだ警察官1年目でいたりませんが、よろしくお願いいたします」
「俺の今の相棒。これでもキャリアだぜ。階級は警部補・・・」
そんな風に紹介されて俊介は少し照れて俯く。
「八神達彦です、よろしく。」
柔らかな物腰、スマートな口調、涼しげな笑顔の奥の鋭さ・・・慎吾の愛したすべてがここに存在するのだろう。
この人にはとても叶わない・・・俊介はそう思えて心を痛めた。
食堂で、日替わり定食をとり、席に着くと、俊介はお茶を取りに席を立った。
(何を話しているのだろう・・・)
遠くから垣間見る。気になって仕方が無い。
(僕はあの人の代わりになんかなれない・・・)
心がきしむ。
先輩を拒んで、苦しめて、あの人は、ああして笑っている・・・いやだなあ・・・
しかし、一番嫌なのは自分。
達彦をそんな風に嫌う自分・・・
コップにお茶を注いで、俊介は再び、慎吾達のテーブルに現れる。
「熱いですから、気をつけてください」
と、達彦、慎吾の順に茶を渡す。
「ありがとう」
達彦の笑顔に、俊介は恥かしげに俯く。自己嫌悪が湧いて出てくる。
「なんか、色々・・・よかったですね」
そういいつつ箸を取る達彦。
「お前も・・・おめでとう」
そんな風に笑いあう二人が眩しくて、目を逸らした。
「研修から帰ってきて、お前ヘンだぞ?」
食後の晩酌をしつつ、慎吾がそう言う。
「そうですか・・・」
達彦の事が頭から離れない。
「気にしてるのか?達彦の事?」
「すみません、僕が気にする資格なんて無いんですよね・・・」
とグラスを煽る
「またお前・・・酔うぞ・・ゆっくり飲め」
こんなに判りやすい男も珍しいくらい、俊介は感情に素直だ。
「今回、あらためて感じた。達彦の事は俺、全然引きずってないなあ・・・って」
「何で、こんなに不安になるんでしょう・・・八神警視に嫉妬するなんて僕は醜い人間ですよね」
「別に・・・嫉妬くらい、一々覚えてられないくらいしたぞ?俺は・・・」
でも・・・・
どうして、こんなにスレることなく生きて行けるのか・・・慎吾は不思議だった。
「まあ、お前が不安になっていると言う事はわかった。でも、俺の過去を一々ほじくり出して、拗ねられたんじゃ、
俺、やっていけないから・・・」
「すみません」
いいけど・・・・というか、一々揺れ動く俊介が可愛いとも思えるが・・・
長い沈黙の後、俊介は顔を上げた。
「先輩やはり、以前のミステイクを、リテイクしてください」
ソファーに並んで座っている俊介の顔が近づいた。
「何のこと?」
「記憶の無いファースト・キスをリテイクしてください」
「アレはチャラにしようって言ったよな。記憶無いんだから」
「だから、記憶に残させてください」
飲みかけていたブランディーのグラスを目の前のテーブルに置いて、慎吾はため息をつく。
「好きな人が出来るまで、とっとけ」
「好きな人は出来ました。」
「好きの種類が違うだろ?」
「違いません」
酔いがすっと醒めてゆく・・・・
俊介はあれから、強い独占欲も、愛情表現も陰を潜めていた・・・
だから慎吾は俊介のそれは、慎吾の父、俊一を重ねての事と思っていた。
「不安なら・・・抱いていてやるよ」
俊介を抱擁しつつ慎吾は自分が、俊介の父の代わりには、なれないだろうと思った。
(俺はそんなにいい奴じゃないから・・・)
「お前がそんなに気にやむほど、俺はたいした奴じゃないから」
「好きに理由なんてありません」
慎吾の胸で泣いている俊介が愛しくてたまらなかった。
「不安になる事なんか無いんだ。やはり、お前は俺には特別なんだから・・・」
ぎゅっ・・・子供のように、俊介が慎吾の背中に手を回して抱きしめてきた。
「怖いんだ、お前が後悔するのが・・・」
「後悔なんてしません。先輩が本気じゃなくても、誰かの身代わりでも、僕は・・・」
どうして、いつから自分は臆病になったのか・・・
いや・・・多分、もとから・・・・
今まで本気で誰かを愛した事が無かったのだ。
達彦の事も・・・・
「俺こそ・・・不安だ・・・助けてくれ。身体と心がバラバラに壊れそうなんだ・・・」
先輩・・・
こんなに脆い慎吾をはじめて見た。
仮面がはがれた・・・鎧を取り去った、生身の三浦慎吾がここにいる。
「僕なら、貴方をすべて、受け止められる・・・だから、拒まないでください・・・」
月のない夜、人は道に迷い、闇夜の鏡に自分の正体を見る・・・・
ー俊一は俺の道標だった・・・−
父、進の声が聞こえる。
強く抱きしめられた腕に、魂と身体は引き止められている。
稲葉俊介・・・・
彼が慎吾の道標なのだ。
やっと、気付いた・・・・・・
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