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三浦慎吾は辞令を手に町田署の廊下を歩いている。

この度、警部から警視に昇進し、都心から離れた町田市に配属された。

というのも、現署長が来年定年退職するので、次期署長として現場に1年いる事になったのだ。

署長室で挨拶をした後、署内の廊下を刑事課目指して歩く。

背の高い、がっしりした体格の彼は、どこにいても目立つ。精悍な輪郭に目尻の下がった目が唯一、愛嬌を感じさせた。

父は警視庁の副総監で、母は幼い頃に亡くしている。

最近、長年想いを寄せ、片思いしていた幼馴染みと最悪の状態で決別したばかりである。

 

ドアを開けて、課長の机の横に立つと、刑事課課長の田山は辞令を受け取り、部下の一人を呼んだ。

「稲葉、ちょっと来い」

身長は162か3、小柄な栗色の髪をした、童顔な刑事がやって来た。

「稲葉俊介、今年入った新米なんだが、彼も、キャリアで階級は警部補。彼と組んでくれないか。

キャリアはキャリアに任せるのが一番だしな」

要するに、もてあましているのだろう。

いきなりやって来た、右も左もわからないような青二才が自分達より階級が上・・・

どう扱えばいいのかわからない。そんなところだ。

「稲葉君、彼は三浦慎吾警視、警視副総監殿の一人息子で、優秀なキャリアだ。色々教わるといい」

「稲葉です、よろしくお願いいたします」

と、顔を上げた彼は、眼鏡の奥の大きな瞳をさらに大きく見開いて、あっと声を上げた。

 

ー引っ越して来られたんですね。僕、隣の502号室の稲葉と申します。よろしくお願いいたしますー

さすがに都心から町田に通うのは大変なので、慎吾は町田市にマンションの一室を借りた。

ワンルームを探していたのだが、あいにく空きが無く、部屋が3つもあるマンションに、とりあえず入居することになった。

それほど多くない家具を、引越しセンターに運び入れて貰っている時に、隣の部屋の住人と思われる大学生が

近くのスーパーの買い物袋を手に帰ってきた。

素直な、善良そうな青年だった。間違って被害者になっても、加害者にはならないだろう・・・

などと、警察官の目で物色していると、がさごそと買い物袋を漁り、バナナを一房取り出し、慎吾に差し出した。

ーそこのスーパーで安かったんですよ。なんか、美味しそうに黄色いでしょ?お近づきのしるしにどうぞー

彼の人懐っこさに呆れ、自分におおよそ似合わないだろうバナナを差し出したアンバランスに戸惑い、慎吾は言葉を無くした。

沈黙していると、彼は微笑んで慎吾の手にバナナをのせてドアの向こうに消えた。

後で、挨拶は自分がするべきだったと、菓子折りを持って挨拶にいった慎吾だった・・・・・

 

「大学生じゃなかったのか・・・・」

てっきりそう信じて、訊く事さえしなかった。

「大学生・・・ああ、よくそう見られます。」

涼しげに笑う俊介を見ていると、慎吾は春風に吹かれているような気持ちになった。

こんなさわやかな笑顔をする青年を、慎吾はよく知っている。

(達彦・・・・)

幼馴染みで片思いの相手、八神達彦・・・・

彼に達彦の面影を重ねていた。

「何だ?知り合いかね?」

田山は怪訝な顔をする

「お隣さんなんです」

 やはり、さわやかに俊介は答えた。

 

こうして慎吾は新米警部補のお守りをおおせつかった。

 

「でも、同業者で、職場も同じなんて、偶然ですね〜運命かな」

(一体何の運命?)

一緒に退勤して、俊介の部屋で夕食をご馳走になりながら、慎吾は彼の特異な発想に、心で突っ込みを入れる。

「三浦先輩、これからもウチで夕食召し上がりませんか?一人で食事もなんですし・・・あ、でも先輩はアフターファイブ

色々あるんでしょうね・・・」

「ないよ。恋人もいないね。寂しい奴なんだ。」

俊介の作った肉じゃがと味噌汁とおひたしで、久しぶりに家庭的な雰囲気を感じつつ、慎吾は笑う。

「え?先輩モテるでしょ?どうして?」

周りはそう思い込んでいるらしい。三浦慎吾はモテる。

しかし、たった一人の最愛に、幼馴染み以上の思いを抱いてももらえない自分・・・

「モテないよ」

「じゃあ、これから一緒に夕食、食べてくださいね。ここで。」

それは願ったり叶ったりだった。

自炊をする癖が無いので、慎吾はいつも外食気味だった。外食となると、洋食に偏る。

コワモテの慎吾がラーメン屋や、牛丼の店などにいると浮いてしまうのだ。

しかし、彼は実は日本食を愛していた。

焼き魚、肉じゃが、親子どんぶり、すき焼き・・・日本の家庭料理に飢えていたのだ。

「それは嬉しいが、稲葉はそれでいいのか?たまには彼女とか来るんじゃないのか?」

「そんなのいませんよ〜〜昔から女の子に、男扱いされた事ないんですから・・・」

確かに、女装すれば可愛いだろうと、慎吾は思う。

「でも、稲葉はマメだな。いつも自炊してるのか?」

「ウチは父を早くに亡くしてて、母が生計を立ててました。家事は僕の担当だったんです。」

同僚からちらっと聞いた話では、俊介の父は殉職した巡査らしい。

地方の小さな派出所の巡査で、住民から慕われていたが、ある事件で、人質を救出する時に、犯人の銃弾に倒れたらしい。

父親が警察官だと言う事、片親を早くに亡くしていること、一人息子だと言う事、自分と俊介はどこか似ていると慎吾は思う。

「お父さんは稲葉に似て、優しい、人当たりのいい人だったんだろうな」

「僕みたいに愛想のいい人だったみたいですが、外見は大柄で、武道の達人だったそうです。父に似ずに僕は体が小さくて・・・」

「でも、階級はお父さんより高いじゃないか?稲葉は頭脳明晰なんだな」

「ガリ勉君て、言うやつですかね。射撃はまあまあですが、格闘技全般苦手で・・・・」

ジャガイモを突きつつ、慎吾は笑う。

「こういっちゃ何だが、俺達キャリアは、そのうち管理職に就くわけだから、あんまり武道は関係ないぜ。

現場で危険な目に会う事も、あまりないしな。今は実習だから現場にはいるけどな」

「そうですか。母が警察官になるなら、国家公務員第T種試験、絶対受けろというから、受けたら合格して、

そのままキャリアとかいうものになっちゃいましたが・・・・」

それは、多くの警察官に失礼ではないか・・・

なりたくても、なかなかなれないのがキャリアなのだから・・・

しかし、俊介の母が彼にキャリアになる事を望むのは当然だろう。夫をそんな風に死なせてしまった身なのだから。

初めは俊介が、何一つ苦労のないお坊ちゃんに見えたが、案外苦労人なのだと慎吾は感じた。

「にしても、お母さんよく許したなあ。弁護士とか、判事とかの方が安全だろうに・・・」

「血でしょうかね・・・」

血統・・・そうなのだろうか・・・

「とにかく、三浦先輩の足引っ張らないように、気をつけます」

「いや、稲葉は問題無さそうだけどな。ぶっ飛んだ事しなければ」

そう言いながら、慎吾は、無関係なのに薬物取締法違反の疑いをかけてしまったヤクザの組長に、土下座して謝罪した

八神達彦の事を思い出す。

まっすぐなのは俊介も同じ事。しかし、自分の価値観を強引に通すと、内部に敵を作る事になる。

「ぶっ飛んだ事ですか・・・・」

自分に無い真っ白な魂・・・慎吾は俊介を守りたかった。

権力に薄汚れて欲しくなかった。

自分は、純粋さを無くしている事を自覚している。周りに合わせる事に努力を惜しまない。

世渡りを上手くするために、自分の主義主張さえ曲げる。

おおよそ、八神達彦とは正反対だ。

だから、自分は愛されなかったのかもしれない。

達彦が選んだ鬼頭組の跡取り息子、鬼頭優希はまっすぐだった。

 

俊介は、黙り込んだ慎吾をただ見つめる。

時々、彼が憂いに満ちた表情を見せる度に、不安になる。

手の届かない遠い人に思えて。

昨日知り合ったばかりなのに、慎吾を独占したいという衝動に駆られる。

彼に、亡き父の面影を重ねているのかもしれない・・・・

一緒にいて、とても安らかな気分になれた。

しかし、よく考えてみれば、自分は彼の事を何一つ知らないという事に気付いた。

それが、とても切なかった。

 

 

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